2.春の記憶

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 相手の表情や空気を読まないやつは嫌いだ。できるだけ関わりたくない。それなのに、今まで飲み会にすら参加していなかった木崎が、頻繁に顔を出すようになった。  しかも俺の姿を見つけると「朝陽」と必ず寄ってくる。周りは「いつの間に仲良くなったんだよ」と不思議そうだったが、好きな映画を観るだけの緩いサークルなので他人の事情に深く突っ込むやつはいない。 「これどう?」  窓際に寄せた机の前で、木崎がスマートフォンをこちらに向ける。 「どうって……」  机に肘を置き、しゃがんだ姿勢の木崎に見上げられる。目の前に『今日も会えるなんてラッキー』と書かれた吹き出しが浮かぶ。  アリかナシかでいえばナシに決まっていて、告白されたら即お断りだけど、何も言われていない時点で振ることはできない。それとなく察してもらいたいと思うが、そんな繊細な神経を木崎が持ち合わせているわけはなく。  ほかの先輩たちと同じように「愛想のいい後輩」「気の利く後輩」として接しようとするのだが、木崎は俺が引こうとする線をあっさり超え、距離を詰めてくる。それならば、と木崎の望む姿とは違う自分を作り、距離を置こうと思ったのだが。  ――朝陽は何が好きなのかな。  木崎が浮かべるのは俺自身のことばかりで、俺にどうしてほしいというのは見せない。望む姿がわからないから反対に振る舞うこともできない。それは今まで当たり前に「作って」きた俺を、とても落ち着かない心地にさせた。  はあ、とため息とともに視線を落とせば、「ん?」と顔を傾けた木崎と再び目が合う。思いがけず優しい眼差しを向けられ、心臓が跳ねた。今まで誰と目が合っても何ともなかったのに。どうして、今。なんで、木崎に。 「こういうの、好きじゃない?」  揺れ始めた心臓に気づかないふりをして、画面へと意識を向ければ、先週から公開になった映画の予告映像が流れている。好きじゃない、って言えばいい。それで会話は終わる。それなのに揺れる鼓動の大きさが、嘘をつくために必要なものを奪っていく。表情も声も作れず、掠れた言葉だけが落ちた。 「……好き、だけど」  言ってしまってから体温が勝手に上がりだす。映画に対する答えにすぎないのに。 「よし、じゃあ、土曜日は?」  立ち上がった木崎がスマートフォンを操作する。 「なんか予定ある?」 「ないけど」  早く会話を終わらせたくて、反射的に答えてしまう。アルバイトは平日と日曜日に設定していて、土曜日はなるべく空けるようにしている。スケジュールを確認するまでもない。 「おっけ。じゃあ、この十一時の回でいい?」  映画館の上映スケジュールを見せられ、目が合いそうになったので、急いで頭を下げる。 「駅前に十時半? でいっか」  頷いたことになってしまったのだと気づき、「なんで」と返せば、「あ、早い? 午後でもいいけど、お昼食べたら眠くなるかもだし」と笑って言われる。  思わず視界に入れてしまった吹き出しには『初デートだ』と文字が並んでいた。デートって、ただ映画観に行くだけじゃん。と思ってしまった時点で、自分でも行く気になっているのだと気づく。行くとも行かないとも言わないうちに「じゃあ土曜日に」と木崎は部室を出ていった。「お前、何しに来たんだよ」と周りに笑われても構うことなく。
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