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隣国である同盟国との境界に位置するヴァルフ辺境伯領のチェスタという街は、セライラ王国の交易の要所としても栄えている。
街馬車や道中で出会った親切な農夫婦の荷馬車に乗車させてもらったりと、宿での休息を交えながらリリアは一週間掛けてチェスタに到着した。
「ここがチェスタなのね……こんなに遠いところまで来たのは始めてだわ。慣れないことが多くて疲れたけど楽しかった」
必要最低の衣服と慎ましく暮らしていくには十分な金品、そしてお気に入りの一冊の本を革鞄に詰めてリリアはマグノア伯爵家を出た。旅路にあった街で不要なドレスを換金し、平民の服を用意したりとしたため、リリアが来ているのは伯爵家で身につけていた衣服とは比較にならない質素な服である。
今頃伯爵家からはリリアの捜索が行われているかもしれない。リリアがお願いしたとおりに心優しい家族がリリア・マグノアを死んだことにしてくれた可能性は低く、だが、戻るつもりは毛頭なかった。
(ーー私はあの方にすべてを捧げるの)
夢にまで見ていた想い人がこの街にいるのかと思うと心臓が高鳴る。
幸い、危惧していた盗難や強盗などの犯罪に遭遇することはなかった。金品のやりとりも事前に学んでいたため、困ることはなかった。
(もう完璧な平民ね私も)
すっかりその気になって笑うリリアは、チラホラと周囲の人間が熱い視線を送っていることには気づかない。
周囲に漂う緊張感はリリアに誰から声を掛けるのが先なのかという牽制が混じっているが、リリアはやはり気づかないままチェスタでの宿泊先について考える。
(仕事を探さないといけないけど、まずは先に住む場所をどうにかしないといけないわね。すぐには見つからないだろうから宿を探さないと)
伯爵令嬢として培った読み書きと針の技術など、全く役に立たないことはないはずだ。リリアにも可能な仕事が見つかることを祈りつつ周囲を見渡していたリリアは目についた身なりの良い長身の背の男性に背後から声を掛ける。
「この街で本日から宿泊可能な宿屋をご存知ありませんか?可能でしたら、お仕事を紹介して下さる場所も教えてほしいのですが……」
振り向いた男性はリリアを見下ろすと、驚いたように目を見開かせる。頬を染めて無言の男性に、リリアは何かおかしな点があるのかと自分の身なりを確認するがわからずに首を傾げる。
キリッとした太い眉をした精悍な顔立ちに明るいブラウンの髪をした人の良さそうな男性は通りがかりの騎士に見えた。腰には装飾が施された鞘に収められた剣がある。
もしリリアの最終目的地であるヴァルフ辺境伯の騎士団の者ならば絶好の機会だと期待もしていたが、やはりそう上手く事態は動かないかとしょんぼりしかけた時だ。
「え、あ!申し訳ございません!つい貴方の美しさに目を奪われて……いや!えっと」
あたふたと慌てふためく男性は照れたように頬を指でかき、恥じるように視線を彷徨わせる。
きょとんと男性を見つめていたリリアだったが、クスリと笑みが零れた。やはり第一印象は誤りではなさそうだ。初対面の相手に対する緊張が和らぐ。
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