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私には、大切にしているドールがある。
DOLL、人工知能を組み込んだ人形タイプのアンドロイドだ。
今ではひどく時代遅れなタイプで、私がまだ稚い子供だった頃に祖父母からいただいた物だ。
「マスター、マスター、お花、キレイですね」
「ええ、そうね。アンジェリカ」
アンジェリカと名付けた私のドールは、西洋人形の姿をしている。小さな手、小さな足、柔らかな金の巻き毛とぱっちりした青い瞳。私の自慢の友達だった。
転勤の多い職に就いていた両親の都合で、幼い私は友人をつくりにくい環境にあった。一人っ子で、内気なせいもあっただろう。
常に寂しくしている私を見かねて、祖父母は当時の最新型であったドールを買い与えてくれたのだ。
「マスター、マスター、お水、どうですか」
「ええ、ありがとう。いただくわ、アンジェリカ」
子供の私は、アンジェリカだけが友達だった。
だが、人は変わる。成長してゆく。
いつしか私にとって、彼女は対等な友人ではなくなっていた。
友達から、妹のような存在になり、次第にその存在を厭うようになった。
自分を純粋に慕う彼女を、無碍に扱うこともあった。古いタイプだから恥ずかしいと、幾度か買い換えをねだったことすらあったのだ。
だが、両親は許さなかった。理由は幾つかある。その頃にはすでに鬼藉に入っていた祖父母の形見だったから。非常に高価な物だから。
そして、たとえ古いタイプでも、飽きたら捨てる、という身勝手が許されない考えだから、だ。
最後の言葉は私の心に突き刺さった。
私は再び、アンジェリカを大切にした。しかし、アンジェリカは古いタイプだ。いつまでも幼い子供のようなまま、変わらない。
時折、その無邪気さがひどく癇に障って、苛立ちをぶつけてしまった。変わってゆく自分自身と比べて寂寥感に襲われてしまい、あたり散らしたこともあった。
それでも、アンジェリカは変わらない。
にこにこと、幼い子供のままで私を慕ってくれるのだ。
そんな彼女に、変わらない存在に、私はいつしか救われていた。
全ては変わってゆく。両親と離れ、社会に出て、結婚し、家庭をもち、家族を得て、そして失ってゆく。
「マスター、マスター、疲れましたか?」
「そうね、少し眠くなったかも」
長く連れ添った夫も、両親と共にあちらで私を待っていてくれるだろう。
実り多き人生だった。子供達もそれぞれに、それぞれの人生を生きている。心配は尽きないけれど、幸いにも、彼らにも支えてくれる者がいる。心配ではあっても、不安ではない。
「アンジェリカ……」
私は手を伸ばしてアンジェリカの頭を撫でた。心残りがあるのは、この子だけだ。
「マスター、どうしたの?」
あどけなく首を傾げる、私のドール。私がいなくなっても大切にして欲しいと、孫娘には重々頼んである。気性の優しいあの娘なら、きっと大切にしてくれるだろう。だけど。
「ねえ、アンジェリカ」
私のドール。
「なあに? マスター」
「……ううん、なんでもない」
ごめんね。私は良いマスターじゃなかったね。
ありがとう。それでも、あなたは変わらず親友でいてくれた。
感謝も謝罪も飲みこんで、私は微笑んだ。
「大好きよ、アンジェリカ」
嬉しそうに笑うアンジェリカ、私のドール。
「私もよ、マスター」
最後まで、変わらないアンジェリカ。
ありがとう、またね。
心の中で囁いて、私はそっと目を閉じた。
「マスター? ……眠っちゃったの?」
穏やかに日射しがふりそそぐ寝室には、DOLLである彼女、アンジェリカと、その主人である老婆がいた。
幼い少女の姿をしたDOLLは、言葉を発しなくなった主人を眺めた。つややかな黒髪は少しずつ真っ白となり、歳を経るごとに、細く、小さくなっていった《マスター》は、皺にうもれた口元に微笑を湛え瞼を閉じている。
「おやすみなさい、マスター」
アンジェリカは、いつかマスターに教わった子守唄を口ずさむ。
――変わらないで。
セキュリティロックをかけたマスターからの『お願い』を再生しながら。
変わらないでと、少女は願った。皆、私のことなんて嫌いなんだと泣きながら。
優しかった両親は、いつの間にか少女よりも仕事を優先するようになった。
親友だった女の子は、少女が引っ越した後、別の『親友』を見つけたらしい。
変わっていく。少女を置き去りにして、皆変わっていく。
だから少女は願った。自分の大事な友達であるDOLLに、『変わらないで』と。
静かな午後の寝室に、旧式のDOLLの子守唄が流れる。
時折、母のような姉のような、包みこむ愛情を垣間見せるその子守唄は、いつまでも途切れることなく流れていた。
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