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「あずさー、今日の塾の課題やってきた?」
「……うん」
「あーあ、受験めんどいー」
「……うん」
「あずさ? なに、一年見てるの? 知り合いでもいた?」
「え。いや、……ちょっとね」
あいまいに笑って、わたしはもう一度、彼を見た。人垣に囲まれて軽薄に笑う彼、藍住哲也を。
哲也だった。あの、わたしの弟だった哲也だ。
「あー、あの一年、すっごい遊んでるんだってね。うちの後輩が言ってたよ。入学してまだ一月しかたってないのに、もう三人も捨てられたとかなんとか。まあ、顔はいいよね」
「……ゆきの好みじゃないよね」
「とーぜん。あたしには前島がいるもん」
「うわ、のろけだ」
そのまま話題をすり替えて他愛ない話に笑いながら、わたしは哲也のことを考えた。
藍住、は義母の旧姓ではない。なら、再婚したのだろう。
この六年間、彼らとの接点は何もなかった。父は話にも出さなかったし、わたしも口にしずらい話題だった。どうしているのだろう、と気になっても、会う手段は何もなく、連絡を取ることもできなかった。
まさか、わたしが通っている高校に入ってくるなんて想像もしなかった。
「……すごく変わってたけど」
「え? なにか言った?」
「ううん、なんでもない」
ゆきに首を振り、そっと溜め息をつく。入学式で見かけて、一目で哲也だと気付いた。声をかけたかったけど、出来なかった。
哲也がすごく格好良くなってたからじゃない。
お洒落で軽薄な男になってたからでもない。
……あまりにも、その目が荒んでいたからだ。
「あー、やばい。雨降りそうだよ。急ご、あずさ」
「……うん」
わたしはぎゅっと唇を噛み締めて空を見上げた。雨雲で青が見えない空は、苦しくて仕方ない今の気持ちに少し似ていた。
……なにかがあったのだとはわかる。だけど、聞けない。わたしと哲也はもう赤の他人で。昔のように気軽に話しかけるなんて出来ないのだから。
もどかしい想いを振り払いたくて、わたしは早足に歩き出した。
あの日の、哲也が泣いている姿を思い出さないようにしながら。
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