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辺境伯の城
王都から二日ほどの移動の後、クラリッサとユストゥスを乗せた馬車は、モルゲンシュテルン家の領地へと入った。
「あれが、我が領地の中で最も大きな街『ヴェヒター』、その奥に見えるのが『ヴェヒター城』だ。モルゲンシュテルン家の本宅でもある」
ユストゥスが指差す先には、高い城壁に囲まれた街と、彼の本宅である城が見える。
「王宮のような優雅さがなくて武骨な城だろう」
たしかに、ヴェヒター城は、装飾的な部分の多い王宮に比べれば、飾り気のない実用的な城であると、クラリッサにも分かった。
「他国と接する土地ですし、戦の備えが必要ということですよ……ね?」
「その通りだ。昔から、難攻不落と言われている」
頷いて、ユストゥスが微笑んだ。
実家にいた頃は、何か言ったりしたりする度に、継母や異母兄姉たちから嫌味を言われ疲弊していたクラリッサだが、優しく話を聞いてくれるユストゥスの前では、いつしか肩の力が抜けていた。
――ただ普通にしていられるというのが、こんなに心地良いことだなんて忘れていた……
ふと、彼女は重要なことを確認していなかったのに気付いた。
「ユストゥス様、一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「何だ?」
クラリッサの言葉に、ユストゥスが首を傾げた。
「ユストゥス様には、ご家族はいらっしゃるのでしょうか?」
「深刻そうな顔で聞いてくるから、何ごとかと思ったぞ」
ユストゥスは、フフと笑った。
「両親は亡くなっているし、兄弟もいない。叔父や従兄弟など親戚連中を含めなければ、俺は一人ということになるな」
「では、奥様も、いらっしゃらないのですか」
「ああ。縁談は時々持ち込まれるが、この御面相だからな。怖がられて逃げられるのがオチだ。俺が世継ぎを作らないまま世を去っても、親戚の誰かが後を継ぐだろうし、心配はしていないが」
事もなげに言って、ユストゥスは肩を竦めた。
――ユストゥス様は、ご自身でも顔の傷を気にしておられるのだ。私には、むしろ美しさを引き立てるものに見えるというのに……
「私が、独り身であるユストゥス様のところへお邪魔するのは……その、問題ないのでしょうか」
「君は、俺の『客人』だ。何を憚ることもあるまい」
きょとんとするユストゥスの様子に、クラリッサは安堵したものの、同時に僅かだが寂しい気持ちを覚えて戸惑った。
――何を考えているんだろうか私は……ユストゥス様は、行くところのない私を憐れんでくれているだけ。辺境伯などという家柄のお方は、本来ならば会うことすら叶わない雲の上の人なのに。
馬車は街を通り抜けると、城へ続く、曲がりくねった細い道に入った。
クラリッサは、このような道が、敵の侵入を阻む為のものだと書物で読んだことを思い出した。
やがて、馬車は城門の前に停まった。
城の周囲は、より堅固な城壁と堀で囲まれている。
「城壁には、砲台や銃撃を行う為の狭間が設けられているのですね。やはり、この城が戦の為に造られていることが分かります」
クラリッサの言葉に、ユストゥスは目を丸くした。
「ほう、よく知っているな。君くらいの若い女性は、流行りの服や誰かの色恋沙汰にしか興味がないものと思っていたが」
「わ、私は本を読むのが好きで……小説よりは、歴史の本などが好きなのです。そこには数々の戦や城についても書かれていましたが、本物の要塞としてのお城を見たのは初めてで、感激してしまいました。本当に、存在していたのだなと……」
「そうか。では、俺と気が合いそうだな。うちの書庫の蔵書は、なかなかのものだぞ。後で、案内しよう」
そう言ってユストゥスが微笑むのを見たクラリッサは、我知らず頬を染めた。
二人が話している間に城門の鎧戸が開き、堀を渡る橋が架かった。
城内へ入ると、大勢の使用人たちが主人であるユストゥスを出迎えた。
「彼女はレハール子爵の令嬢クラリッサ、俺の客人だ。丁重にもてなすように」
ユストゥスの言葉に、使用人たちは一言も疑問を差し挟むことなどなかった。
「客室を用意させますので、その間は、こちらでお寛ぎください」
執事のコンラートの案内で、クラリッサは応接室へと向かった。
広く、塵一つ落ちていない廊下は、しんと静まり返っている。
大勢いた筈の使用人たちの姿が見られないのを、クラリッサは不思議に思った。
「静かで、まるで誰もいないみたいですね。さっきは、あんなに人がいたのに」
「使用人たちのことでしょうか? 彼らは、用事のある時以外は、ご主人様の前には姿を見せることのないよう、躾けられているのですよ」
クラリッサの疑問に、コンラートは、さも当たり前という調子で答えた。
やはり、自分の生家とは格が違うのだと、クラリッサは改めて思った。
案内された応接室は、「別邸」のものよりも更に豪奢だった。
足音もしない程に柔らかな絨毯や、揃いの意匠の調度品、熟練の職人の手によるであろう煌びやかな内装――贅沢というよりも、辺境伯の力を示すものなのだろう。
身体が沈み込みそうな長椅子に座り、芳しい香りの茶を飲んで寛いでいると、クラリッサは生家での出来事が遠い昔のことのように思える気がした。
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