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――仕事を辞めるつもりはなかった。
「先輩、すみません」
これで何度目だろう。
私を追いこしていく後輩の言葉を聞くのは。
桜が咲く頃、料亭『吉浪』の調理場には新人が入ってくる。
この時期に入るのは、経験ある調理人ではなく、学校を卒業したばかりの新人が多い。
新人が来れば、雑用をこなしていた下っ端の私たちの中から、上のポジションにいく人が出てくる。
けれど、私はずっと昇進できずにいた。
今年も春が来て、また私は後輩に追い抜かれた。
「ううん。いいのよ。よかったわね。昇進おめでとう」
口ではそう言っていたけれど、心の中はたくさんの『なぜ』があった。
辞めるのはいつでもできると言い聞かせ、頑張ってきたけれど、私も二十六歳。
調理らしい調理は賄いのみで、盛り付けを主とする八寸場から昇進できない。
自分のなにが悪いのかわからない。
――わからなかったということは、私に才能がない証拠かもしれない。
トドメとなったのは、料亭の経営者から言われた言葉だった。
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