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私に沙耶音がはっきり言えなかったのは、お客様の秘密を話すわけにはいかないから……
――相手が吉浪の長男だって、私だけ知らなかったの!?
それも、吉浪の経営に深く関わっている永祥さん。
いつから、お見合い話が出ていたのか知らない。
でも、沙耶音が止めたのは、私が働く前。
そうなると、私は料理人としてスカウトされたのではなく、結婚相手としてスカウトされたという事実。
私が去る前に後輩たちが話していたのは、あながち間違いではなかったということだ。
ぎゅっと胸が苦しくなった。
『彼女、本気で板前になるつもりだったんですかね?』
『さあな。嫁入り前に料理の勉強ができると思って、働いていたんじゃないのか』
後輩たちの言葉が蘇る。
いずれ永祥さんと結婚し、吉浪の女将になるための経験を積んでいるだけ――そう思われていたのだ。
「そんな……」
私が動揺している間に、八寸が運ばれてきた。
八寸は青い柚子を器にし、中にイクラや塩辛などが入っているものが数種類、新鮮なイカを菊花のように見立てたもの――美しい技巧に職人の腕の良さがわかる。
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