虹取りの翁

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虹取りの翁

 虹の根元にはお宝が埋まっている、とは有名な伝説である。  これまで多くの者が、そのお宝を掘り出さんと幾度も挑んできたが、しかし、誰一人としてそのお宝を手にしたものは居なかった。  何故なら、その伝説の半分は本当、もう半分は嘘だからである。  はっきり言ってしまえば、虹の根元にお宝など存在しない。  では、どこにお宝が眠っているのか?  よく見てほしい、虹そのものを。  様々な彩の中に煌めく、光そのものを。  虹とは、光と水滴が織りなす自然界の奇跡であり、そして同時に、魔法遣いにとっては大切な魔力の源のひとつである。  つまり、虹そのものがお宝なのだ。  そして、その魔力の源である虹の採取を生業とする一族が、この国には古くからあった。  深い深い山の中、激しく流れる大きな滝。  その滝に面した岩場を器用に登る、一人の老人の姿があった。  名を、常葉(ときわ)という。  件の虹取りの一族である。  彼は幼い頃から虹取りとしての技術を父親から叩き込まれ、そして七十を超える現在でも変わらず虹取りを続けていた。  虹取りとして、各地を巡ること六十余年。  そろそろ引退したいところではあったが、しかし息子も孫も、このあまりに過酷な仕事を決して継ごうとはしなかった。  いや、むしろ常葉もまた、それを無理強いしなかった。  息子らには息子らの人生がある、好きに生きるといい。  彼は常日頃からそう考えていたのである。  そもそも現代において、虹の魔力の代替品などごまんとある。  多少純度は下がるものの、値段も安く、最近の魔法遣いは皆そちらの方を買っていく。  何より、ここ数十年で環境が変わり、魔力を含んだ虹のできる滝も激減している。  虹取りが何とかかんとか探し当て、命懸けで採取した虹の魔力を必要とする魔法遣いなど、今ではほんの一握りにしか過ぎなかった。  おそらく、その魔法遣いたちもやがては――  それでも彼がこの仕事を辞めようとしなかったのは、長年続けてきたこの仕事や父や祖父、先祖らに対する敬意や愛着によるものだった。 「せめてこの身体が動かなくなるまでは続けたい」  それが常葉の口癖だった。  薄汚れた白のヘルメットと灰色の作業服に身を包み、滝の左右に張った二本の縄のうち、上の一本に腰から延ばした安全ロープのフックを掛ける。  それからもう一本、足元に張った縄を伝うようにして、常葉は滝の虹に近づいていった。  一歩、また一歩。  滑らないように、落ちないように。  慎重に、気を付けながら。  昔はこのような命綱などつけずに身一つで虹を採っていたのだから、今から思えば恐ろしい話である。  何もないただの滝壺であるならばいざ知らず、時には岩だらけの場所での採取も半裸で行っていたのだから。  その昔は死傷者も出ることがあったようだが、これも時代の流れ。  何より、常葉の家族がそれを強く望んだ結果だった。  やがて虹まで辿り着いた常葉は腰からぶら下げた古いひょうたんを手に取り、虹に向かってその口を向けた。  その途端、滝にかかっていた虹がスルスルとひょうたんの中に吸い込まれていく。  すべての虹が吸い込まれるまで、さほどの時間はかからなかった。  あとは、もと来た縄を戻るだけである。  また一歩、そして一歩――  滝の飛沫に濡れた縄の上を、慎重に戻る。  やがてもう二、三歩で地面に足が触れるという、その時だった。 「――うおっと!」  突然足元が滑り、常葉は慌てて縄に両腕を掛けた。  だらりと両足が宙を浮き、張った縄が大きく揺れ、たわむ。 「……やれやれ」  安堵のため息。  再び縄に足を掛け、常葉は地面に両足を付けた。  それから滝の方に身をひるがえし、ヘルメットを脱ぎ捨てると、手近にあった大きな岩の上で胡坐をかく。 「――ふぅ」  そうして大きなため息を一つ吐いた。  昔ならばこの後まだ二つ三つ別の滝を巡るところだったが、寄る年波には勝ちようがない。  常葉はしばらくぼんやりと眼下に広がる広大なる緑と青い空を眺めていたが、やおら手荷物の中から盃を取り出すと、そこに今しがた採ってきた虹をとくとくとひょうたんから注いでいく。  虹色の輝きが、盃の中に満たされる。  その盃を、常葉はひとしきり眺めると、クイっと一気に仰ぎ飲んだ。  ごくり、とのどを鳴らす音。 「――うん、良い味だ」  常葉は言って、もう一度盃に虹を注ぐと、 「コウダ、お前も書いてばかりいないで飲んだらどうだ」 「……うむ」  私は尾に筆を握ったまま、巻き付いていた常葉の腕から身をはがし、ちょろりと舌で虹を舐めた。  何とも例えがたい甘みが口いっぱいに広がり、爽やかな香りが鼻を通り抜けていく。  古来より蛇といえば酒であるが、虹はどんな酒よりも甘く、そして芳ばしかった。  わずかな酩酊の中、私はふと、はるか向こうの空を、こちら向かって何かの影が近づいてくるのに気が付いた。  常葉もまた、その影に気づいたらしく、 「……来たな」  呟くように言って、にやりと笑んだ。  その影は徐々に徐々にはっきりとした姿を成し、常葉と私の方へ飛んでくる。  長い髪をなびかせながら、箒に腰かけ、手を振りながら。 「――おいしい!」  彼女は――楸(ひさぎ)真帆はそう言いながら、わずかに残った盃の虹に目を向ける。 「やっぱり、虹はとれたてが一番ですね!」 「おいおい、虹は飲むためのもんじゃねぇぞ?」  呆れたように、けれど嬉しそうに、常葉は言った。 「そんなに虹が気に入ってんなら、どうだ。俺の跡を継いで虹取りにでもなったら。お前さんには箒があるんだ。楽なもんだろ」 「何言ってるんですか!」  と楸はにやりと笑んで、 「他人(ひと)が苦労して取った虹だからこそ、おいしんじゃないですか!」  常葉は苦笑いしつつ、 「――やれやれ、ほんと、お前は相変わらずだな」  そう答えた。  それから楸は盃に残った虹もぺろりと舐めて飲み干し、不意に私に顔を向ける。 「コウダも、相変わらず書き物ばかりしてるんですね」  私は尾で筆を進めつつ、 「虹取りも恐らく常葉で最後だ。記録に残しておかねばなるまい?」 「ふうん? そんなもんですか?」  言って楸は首をかしげる。  私はちろりと舌を出しつつ、 「いずれ無くなるものとはいえ、忘れてよいというわけではない。そこには先人たちの知恵や歴史、人生が詰まっているのだ」  そんな私の返答を、常葉はふんと鼻で笑った。 「コウダは真面目だからな。昔からそういう性分なんだ」 「それは違う。ワタシはこの虹取りというものに誇りを感じているのだ。願わくば、常葉の息子や孫に跡を継がせて――」 「ほれみろ、また始まった」  そう言われて、私は思わず口をつぐんだ。  実際、私は常葉の息子や孫に虹取りを継いで欲しかった。  けれど、時代の流れというものがある。  先ほども書いた通り、そもそも需要がないに等しい。  そんな仕事を、誰が好き好んで継ぐというのか。  悲しいかな、悲しいかな。 「――さて」  と不意に楸は立ち上がり、スカートについた土ぼこりを払うと、再び箒に手をやった。 「そろそろ行きますね。まだ仕事の途中ですし」 「なんだ、またサボってやがったのか?」  けらけら笑う常葉に、楸はふふんと笑んで、 「息抜きですよ、息抜き!」  言って、すっと浮き上がった箒の柄に腰を掛ける。 「じゃぁ、またな真帆ちゃん。あんまり加奈ちゃんに心配かけんなよ」 「わかってますよ!」  と楸はふんすと小さく鼻を鳴らし、 「――それじゃぁ、またどこかの滝で!」  言ってにっこりと微笑むと、楸は来た時と同じように、手を振りながら飛び去って行くのだった。  その後ろ姿が見えなくなるまで、私たちは彼女を見送る。  やがて常葉は大きく伸びをしながら、 「――さて、わしらも次行くか」  と腰をぽんぽん叩く。 「大丈夫か?」  その腕に巻きつきながら顔をもたげ訊ねると、常盤はふんと鼻を鳴らして笑み、 「なぁに、まだまだいける。せめて、この身体が動かなくなるまでは続けるさ」  そう言って、一歩、足を踏み出した。 ……虹取りの翁|(了)
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