雨の踊り子

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雨の踊り子

 雨が、降っていた。  まばらな雲は白く、合間に見える空は青い。  どうかすると、陽の光さえ差しており、辺りを明るく照らしている。  狐の嫁入り、とでもいうのだろうか。  それほど雨脚は強くなかったけれど、服が次第に湿り気を帯びてくる。  あいにく折り畳み傘は持っていないし、かといって、わざわざ買うほどでもないだろう。  たぶん、すぐに止むはずだ。  そう思いながら、私は人通りの少ない住宅街を歩いていた。  なんてことのない昼下がり。  暇を持て余した私は、ただ何となく、散歩に出掛けただけだった。  まるで世界に自分しかいなくなってしまったんじゃないか、という錯覚に陥ってしまいそうなほど、しんと静まり返った住宅街。  しとしと降り注ぐ雨の、地を叩く小さな音が、辺りに寂しく響いている。  ぴちょん、ぴちょん――  大きなしずくが落ちる音。  チョロチョロチョロ――  排水溝へと流れる水の音。  聴き慣れたそんな音が、  ぴっちょん、ぴちょん、ぴっちょん、ぴちょん、  チョロチョロ、ぴっちょん、チョロ、ぴっちょん  妙にリズミカルな音を立て始めて、私は「おや?」と足を止める。  瞼を閉じ、耳をすませば、  ゲコゲコ、ぴっちょん、チョロ、ぴっちょん  チョロチョロ、ぴっちょん、ぴっちょろちょん  その如何にも古そうな、けれど、どこか懐かしい音色に、再び瞼を開いて――ふと前方に目を向ければ、十数メートル先を行く、一つの人影がそこにはあった。  そんな馬鹿な、と私は思わず目を見張る。  さっきまで、そこには誰も居なかったはずなのに……?  その人影の髪は長くて黒く、ピンクのブラウスに、白いスカートをはいていた。  花柄の傘を差し、まるでスキップをするように、テンポよく道を歩いている。  トントン、ぴっちょん、ゲコ、ぴっちょん  チョロチョロ、ゲコゲコ、トン、ぴっちょん  楽しそうに、足元を雨に濡らしながら、音に合わせて、ステップを踏んでいる。  ――いや、違う。  彼女のステップに合わせて、周りが音を奏でているのだ。  トントコトン  と彼女がステップを踏めば、  ゲコ、ぴっちょん  カエルがひと鳴き、しずくが一つ。  トントコ、チョロチョロ、ゲコ、ぴっちょん  トコトコ、ゲコゲコ、ぴっちょんちょん  チョロチョロ、トントン、ぴっチョロ、トン  ゲコゲコ、トントン、チョロ、トントン 「ふ~ん、ふふ~ん」  鼻歌交じりに、彼女は傘を振り回し、華麗なステップを踏みながら、くるりと綺麗に一回転。  はらりと揺れる、緑の黒髪。  ふわりと広がるスカートは、風になびいて花のよう。  軽やかな足取りは、鳥のように地を蹴り、空を舞う。  カエルの鳴き声、  しずくの音、  そして、彼女のステップと、心地よい鼻歌。  そんな彼女に、私は思わず、見惚れていた。  いったい、彼女は何者なのだろうか。  その楽しげに歌い、舞う姿から、私は目を離すことができなった。  やがて彼女は大きく軽やかにジャンプすると、トン、と地に足をつけた。  その瞬間、世界からすべての音が消え去った。  カエルは鳴くのをやめ、水の流れる音も、もうしない。  すでに雨も止んでいる。  彼女は小さくため息を吐くと、おもむろにこちらに振り向いた。  そして私の姿に気づき、わずかに目を見張ったけれど、 「――お天気雨って、妙に心がウキウキしませんか?」  そう言って、彼女はにっこりと、微笑んだ。  私は思わず辺りを見回し、そして再び、彼女に顔を向けると―― 「……えっ」  そこにはもう、誰の姿も見当たらなかった。  まるで狐に抓まれたような気持ちでいると、どこか遠くから、 「ふん、ふふ~ん、ふ~ん」  誰かの鼻歌が、聞こえてきたような気がした。  ……雨の踊り子|(了)
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