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4
「私じゃありません」
楸さんは、断固として認めなかった。
第二音楽室の準備室。
周囲の壁に所狭しと設置されたスチール棚には、吹奏楽部の楽器がずらりと並べられている。
井口先生は窓辺の小さな椅子に腰かけて、二人並んで立つ楸さんと僕を、胡乱な目で眺めていた。
「……誓って?」
低い声で、念を押すように口にする井口先生に、楸さんはあのむすっとした表情を浮かべたまま、
「そもそも、私は昨日帰宅してからずっと、おばあちゃんの部屋に閉じ込められていたんです。ようやく外に出してもらえたのも朝になってからだっていうのに、あんなことできるわけないじゃないですか。それは先生が一番よく解ってますよね?」
楸さんの言葉に、井口先生は「ふん」と鼻を鳴らすと、
「……まぁ、それはあとで加帆子さんに確認しよう」
それからじろりと僕の方に視線を動かした。
僕はなぜ自分までここに呼ばれたのか理解できないまま、その視線から逃れるように目を泳がせつつ、
「な、なんでしょう……?」
「シモハライ。お前は、楸と付き合っているんだったな」
「え、あ……」
僕は言葉を詰まらせつつ、
「た、たぶん」
井口先生はそんなあいまいな僕の返答ににやりと笑うと、
「付き合っているというより、体の良い僕ってところか?」
立ち上がり、僕の方へゆっくりと歩み寄ってくる。
「これは例えばだが――」
僕はその気迫に押されるように、数歩あと退りながら、
「は、はい……」
「楸の指示で、お前がやったってことはないか?」
顔をずいっと近づけてくる井口先生の、あまりにも迫力のある顔面に、僕は目に涙を浮かべながら、
「……ち、違います! 僕、そんなことしてません!」
声を裏返しながら、必死に訴えた。
井口先生は僕の眼をじっと見つめてきたけれど、やがて大きなため息を漏らし、再び窓辺の椅子へと戻るとどかりと腰を下ろした。
「――なら、あれはどう説明する。間違いなく、あそこにはここらの地力が集められている。お前じゃないなら、誰があれをやったって言うんだ」
親指で窓から望むペンタグラムを指し示しながら、井口先生が不思議な言葉を口にした。
……地力が、集められている?
それって、どういう意味?
「知りませんよ、そんなこと」
と楸さんは吐き捨てるように言って、
「そう言って、先生が描いたのを私のせいにしようとしてるんじゃないですか?」
井口先生は言われてかぶりを振りながら、
「それこそ何のために?」
とおどけたように眉を上げる。
「ご自分の胸に手を当てて考えてみればいいんじゃないですか?」
言われて先生は素直に胸に手を当て、しばらく目を瞑っていたけれど、
「――ないな、全く以って心当たりはない」
「なら、私でもなく先生でもないなら、別の誰かってことなんじゃないですか?」
つっけんどんに答える楸さん。
井口先生は口元に手をやりながら、
「しかし、俺とお前意外にこの学校で魔法が使える奴に心当たりはないぞ」
「……外部の人って可能性もありますよね」
「いや、まぁ、確かにそうだが。しかし、なんだってあんなグラウンドのど真ん中に地力を集める必要が――」
「ち、ちょっと待ってください!」
そこでようやく僕は口を挟んだ。
今までこの二人の会話を黙って聞いていたけれど、聞き捨てならない言葉が先生の口から発せられたのを、僕は放っておけなかったのだ。
「せ、先生も、魔法が、使えるんですか……?」
井口先生は眼を見開き、楸さんに顔を向けながら、
「――お前、シモハライには全部話したって昨日、言ってなかったか?」
「あれぇ? そうでしたっけ? 覚えてませんねぇ……」
そっぽを向く楸さんに、井口先生は深い深いため息を吐いて、
「……お前、いい加減適当に返事するのやめろ。もっとしっかりできんのか」
「これが私のアイデンティティーなんですよ。諦めてください」
井口先生は呆れたように頭を掻きながら僕に貌を戻し、
「そう、俺も楸も魔法使いだ。でも、あまり他人には言うなよ。一応、一般人には秘密にするって決まりがあるんだ」
「そ、そうなんですか?」
そうか、だから楸さんは僕に死の呪いを掛けてまで黙らせようとしたのか。
それなら、仕方がない――のか?
「まぁ、特にこれって罰則もありませんけどね」
鼻で笑う楸さんに、けれど井口先生はまたため息を吐いて、
「罰則の問題じゃない。我々が我々を守るための基本的な決まり、暗黙の了解。それなのに、お前はあっちこっちで好き勝手魔法を使いやがって。隠ぺい処理してる俺の身にもなってほしいもんだな。あれだけ加帆子さん……あぁ、楸のおばあさんの名前な。加帆子さんにこっぴどく叱られておいて、全く反省する気配もない」
「はぁ……?」
僕はちらりと楸さんに目を向ける。
楸さんは口元にニヤリと笑みを浮かべ、ちらりと僕に視線を向けると、
「まぁ、とにかく、あれは私じゃありません。他を調べてもらえますか?」
と井口先生に言ってくるりと扉の方に体を向けた。
「……そうだな、そうしよう」
それから楸さんは僕の脇を抜けながら、
「――それじゃぁ、そろそろ一時限目のチャイムが鳴るんで、先に行ってますね」
僕や先生の返事も待たず、さっさと準備室から出ていった。
しばしの静寂が室内に満ちる。
その静寂を破ったのは、井口先生のため息だった。
「……お前も災難だったな。あんな奴に気に入られて」
気に――入られたのか?
それこそ先生の言う通り、体の良いただの僕なんじゃないか……?
僕を死の呪いなんてので縛って、いいように使いたいだけなんじゃ――
そこでふと、僕は気づく。
「せ、先生も、魔法が、使えるんですよね?」
井口先生は首を傾げながら、
「……まぁ」
「お、お願いがあるんです」
「なんだ?」
「楸さんに掛けられた、死の呪いを解いてほしいんです」
先生が魔法を使えるっていうんなら、死の呪いの解き方だって知っているはずだ。
これで、僕も晴れて自由の身に――!
「は? なんだそれ」
眉間にしわを寄せる井口先生に、僕も「え?」と思わず首を傾げる。
「だ、だから、死の呪いですよ。楸さんに掛けられたんです」
「……なんで」
「お、一昨日の、ことを、他人に話したら、ダメだって…… 先生もさっき言ってたじゃないですか。自分たちが魔法使いだってことは一般には秘密だって」
すると井口先生は「うぅん」と唸り、
「確かに言ったけど……絶対ってわけじゃないぞ? なるべくってだけで、そこまで強制されてるわけじゃない。そもそも誰かが“あいつは実は魔法使いなんだぜ”って言っても、誰も信じないだろう? だから――」
「で、でも、楸さんに、僕……」
俯く僕を見て井口先生は考えるように口元に手をやり、それから少しして、
「――一昨日、お前は楸に何を秘密にしろと言われたんだ?」
「そ、そんなこと言えるわけがないじゃないですか! 死んだらどうするんです!」
必死に訴える僕を、先生はなだめるように、
「俺は魔法使いだぞ? 死んだら生き返らせてやるから、言ってみろ」
それから僕はわずかに逡巡したあと、意を決して口を開いた。
「……ひ、楸さん、箒で登校してました」
「知ってる」
「それに、上級生の三人の女の子を、校舎裏で――」
「それも知ってる」
「……牧田くんの記憶を」
「中学卒業辺りまで消しやがったな。あの処理が一番大変だった」
「…………」
僕は目を固く瞑り、我が身に起こるであろう禍に身構えた。
さあ、来るならこい! と、半ばやけっぱちで。
けれど、そんな時はなかなか訪れなくて。
「……死ななかったな」
先生の一言に、僕は目を見開きながら、
「え、ど、どういうことですか? なんでっ?」
先生はニヤリと口元に笑みを浮かべると、
「死の呪いなんて、存在しない」
「えぇ!」
衝撃的な言葉を発したのだった。
井口先生は笑いをかみ殺しながら、
「だまされたな」
「そ、そんな……」
嘘、だったの――?
僕は、楸さんにまんまと騙されてたってこと?
急に全身から力が抜け、何だか酷く体が怠かった。
楸さんの、人を小馬鹿にしたような笑みが思い浮かび、何とも言いようのないやるせなさに襲われる。
その時、一時限目開始のチャイムが校内に鳴り響いた。
「ほれ、早く行け。せっかく遅刻しなかったのに、無駄になるぞ」
言ってひらひらと手を振る。
僕は何だかあまりにも恥ずかしくて、顔を伏せながら準備室から出ようとしたところで。
「あ、そうだ、シモハライ」
井口先生に呼び止められた。
「はい」
僕は立ち止まり、視線を床に向けながら振り向く。
「……楸のこと、お前に任せた」
「はい?」
思わず顔を上げ、井口先生に視線を向ける。
先生はうっすら微笑みながら、
「何かまたアイツが変なことしたら、すぐに俺に知らせろ。アイツはすぐに悪ふざけするからな。俺だって教師としての仕事がある。いつも見てられるわけじゃない」
「え、いや、でも」
言い淀む僕に、しかし先生はあごでドアを示しながら、
「いいから、早く行け」
「あ、はい……」
釈然としない気持の中、僕は小走りに教室へと戻るのだった。
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