第2章

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   4 「私じゃありません」  楸さんは、断固として認めなかった。  第二音楽室の準備室。  周囲の壁に所狭しと設置されたスチール棚には、吹奏楽部の楽器がずらりと並べられている。  井口先生は窓辺の小さな椅子に腰かけて、二人並んで立つ楸さんと僕を、胡乱な目で眺めていた。 「……誓って?」  低い声で、念を押すように口にする井口先生に、楸さんはあのむすっとした表情を浮かべたまま、 「そもそも、私は昨日帰宅してからずっと、おばあちゃんの部屋に閉じ込められていたんです。ようやく外に出してもらえたのも朝になってからだっていうのに、あんなことできるわけないじゃないですか。それは先生が一番よく解ってますよね?」  楸さんの言葉に、井口先生は「ふん」と鼻を鳴らすと、 「……まぁ、それはあとで加帆子さんに確認しよう」  それからじろりと僕の方に視線を動かした。  僕はなぜ自分までここに呼ばれたのか理解できないまま、その視線から逃れるように目を泳がせつつ、 「な、なんでしょう……?」 「シモハライ。お前は、楸と付き合っているんだったな」 「え、あ……」  僕は言葉を詰まらせつつ、 「た、たぶん」  井口先生はそんなあいまいな僕の返答ににやりと笑うと、 「付き合っているというより、(てい)の良い(しもべ)ってところか?」  立ち上がり、僕の方へゆっくりと歩み寄ってくる。 「これは例えばだが――」  僕はその気迫に押されるように、数歩あと退りながら、 「は、はい……」 「楸の指示で、お前がやったってことはないか?」  顔をずいっと近づけてくる井口先生の、あまりにも迫力のある顔面に、僕は目に涙を浮かべながら、 「……ち、違います! 僕、そんなことしてません!」  声を裏返しながら、必死に訴えた。  井口先生は僕の眼をじっと見つめてきたけれど、やがて大きなため息を漏らし、再び窓辺の椅子へと戻るとどかりと腰を下ろした。 「――なら、あれはどう説明する。間違いなく、あそこにはここらの地力が集められている。お前じゃないなら、誰があれをやったって言うんだ」  親指で窓から望むペンタグラムを指し示しながら、井口先生が不思議な言葉を口にした。  ……地力が、集められている?  それって、どういう意味? 「知りませんよ、そんなこと」  と楸さんは吐き捨てるように言って、 「そう言って、先生が描いたのを私のせいにしようとしてるんじゃないですか?」  井口先生は言われてかぶりを振りながら、 「それこそ何のために?」  とおどけたように眉を上げる。 「ご自分の胸に手を当てて考えてみればいいんじゃないですか?」  言われて先生は素直に胸に手を当て、しばらく目を瞑っていたけれど、 「――ないな、全く以って心当たりはない」 「なら、私でもなく先生でもないなら、別の誰かってことなんじゃないですか?」  つっけんどんに答える楸さん。  井口先生は口元に手をやりながら、 「しかし、俺とお前意外にこの学校で魔法が使える奴に心当たりはないぞ」 「……外部の人って可能性もありますよね」 「いや、まぁ、確かにそうだが。しかし、なんだってあんなグラウンドのど真ん中に地力を集める必要が――」 「ち、ちょっと待ってください!」  そこでようやく僕は口を挟んだ。  今までこの二人の会話を黙って聞いていたけれど、聞き捨てならない言葉が先生の口から発せられたのを、僕は放っておけなかったのだ。 「せ、先生も、魔法が、使えるんですか……?」  井口先生は眼を見開き、楸さんに顔を向けながら、 「――お前、シモハライには全部話したって昨日、言ってなかったか?」 「あれぇ? そうでしたっけ? 覚えてませんねぇ……」  そっぽを向く楸さんに、井口先生は深い深いため息を吐いて、 「……お前、いい加減適当に返事するのやめろ。もっとしっかりできんのか」 「これが私のアイデンティティーなんですよ。諦めてください」  井口先生は呆れたように頭を掻きながら僕に貌を戻し、 「そう、俺も楸も魔法使いだ。でも、あまり他人には言うなよ。一応、一般人には秘密にするって決まりがあるんだ」 「そ、そうなんですか?」  そうか、だから楸さんは僕に死の呪いを掛けてまで黙らせようとしたのか。  それなら、仕方がない――のか? 「まぁ、特にこれって罰則もありませんけどね」  鼻で笑う楸さんに、けれど井口先生はまたため息を吐いて、 「罰則の問題じゃない。我々が我々を守るための基本的な決まり、暗黙の了解。それなのに、お前はあっちこっちで好き勝手魔法を使いやがって。隠ぺい処理してる俺の身にもなってほしいもんだな。あれだけ加帆子さん……あぁ、楸のおばあさんの名前な。加帆子さんにこっぴどく叱られておいて、全く反省する気配もない」  「はぁ……?」  僕はちらりと楸さんに目を向ける。  楸さんは口元にニヤリと笑みを浮かべ、ちらりと僕に視線を向けると、 「まぁ、とにかく、あれは私じゃありません。他を調べてもらえますか?」  と井口先生に言ってくるりと扉の方に体を向けた。 「……そうだな、そうしよう」  それから楸さんは僕の脇を抜けながら、 「――それじゃぁ、そろそろ一時限目のチャイムが鳴るんで、先に行ってますね」  僕や先生の返事も待たず、さっさと準備室から出ていった。  しばしの静寂が室内に満ちる。  その静寂を破ったのは、井口先生のため息だった。 「……お前も災難だったな。あんな奴に気に入られて」  気に――入られたのか?  それこそ先生の言う通り、体の良いただの僕なんじゃないか……?  僕を死の呪いなんてので縛って、いいように使いたいだけなんじゃ――  そこでふと、僕は気づく。 「せ、先生も、魔法が、使えるんですよね?」  井口先生は首を傾げながら、 「……まぁ」 「お、お願いがあるんです」 「なんだ?」 「楸さんに掛けられた、死の呪いを解いてほしいんです」  先生が魔法を使えるっていうんなら、死の呪いの解き方だって知っているはずだ。  これで、僕も晴れて自由の身に――! 「は? なんだそれ」  眉間にしわを寄せる井口先生に、僕も「え?」と思わず首を傾げる。 「だ、だから、死の呪いですよ。楸さんに掛けられたんです」 「……なんで」 「お、一昨日の、ことを、他人に話したら、ダメだって…… 先生もさっき言ってたじゃないですか。自分たちが魔法使いだってことは一般には秘密だって」  すると井口先生は「うぅん」と唸り、 「確かに言ったけど……絶対ってわけじゃないぞ? なるべくってだけで、そこまで強制されてるわけじゃない。そもそも誰かが“あいつは実は魔法使いなんだぜ”って言っても、誰も信じないだろう? だから――」 「で、でも、楸さんに、僕……」  俯く僕を見て井口先生は考えるように口元に手をやり、それから少しして、 「――一昨日、お前は楸に何を秘密にしろと言われたんだ?」 「そ、そんなこと言えるわけがないじゃないですか! 死んだらどうするんです!」  必死に訴える僕を、先生はなだめるように、 「俺は魔法使いだぞ? 死んだら生き返らせてやるから、言ってみろ」  それから僕はわずかに逡巡したあと、意を決して口を開いた。 「……ひ、楸さん、箒で登校してました」 「知ってる」 「それに、上級生の三人の女の子を、校舎裏で――」 「それも知ってる」 「……牧田くんの記憶を」 「中学卒業辺りまで消しやがったな。あの処理が一番大変だった」 「…………」  僕は目を固く瞑り、我が身に起こるであろう禍に身構えた。  さあ、来るならこい! と、半ばやけっぱちで。  けれど、そんな時はなかなか訪れなくて。 「……死ななかったな」  先生の一言に、僕は目を見開きながら、 「え、ど、どういうことですか? なんでっ?」  先生はニヤリと口元に笑みを浮かべると、 「死の呪いなんて、存在しない」 「えぇ!」  衝撃的な言葉を発したのだった。  井口先生は笑いをかみ殺しながら、 「だまされたな」 「そ、そんな……」   嘘、だったの――?  僕は、楸さんにまんまと騙されてたってこと?  急に全身から力が抜け、何だか酷く体が怠かった。  楸さんの、人を小馬鹿にしたような笑みが思い浮かび、何とも言いようのないやるせなさに襲われる。  その時、一時限目開始のチャイムが校内に鳴り響いた。 「ほれ、早く行け。せっかく遅刻しなかったのに、無駄になるぞ」  言ってひらひらと手を振る。  僕は何だかあまりにも恥ずかしくて、顔を伏せながら準備室から出ようとしたところで。 「あ、そうだ、シモハライ」  井口先生に呼び止められた。 「はい」  僕は立ち止まり、視線を床に向けながら振り向く。 「……楸のこと、お前に任せた」 「はい?」  思わず顔を上げ、井口先生に視線を向ける。  先生はうっすら微笑みながら、 「何かまたアイツが変なことしたら、すぐに俺に知らせろ。アイツはすぐに悪ふざけするからな。俺だって教師としての仕事がある。いつも見てられるわけじゃない」 「え、いや、でも」  言い淀む僕に、しかし先生はあごでドアを示しながら、 「いいから、早く行け」 「あ、はい……」  釈然としない気持の中、僕は小走りに教室へと戻るのだった。
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