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授業中、僕は何とも言えない気持ちのまま、黒板ではなく楸さんの後ろ姿を見つめていた。
楸さんは珍しく真面目に授業を受けていた(ように見えたけど、実際は判らない)が、不意に僕の視線に気づいたのだろう、こちらにちらりと顔を向けると、してやったりといった笑みを浮かべた。
僕はなんだか無性に腹が立ってこれ見よがしに顔を背けてやったけど、たぶんその行動自体も楸さんを喜ばせるものだったのだろう。
「――ぷぷっ!」
楸さんの噴き出すような笑いが、小さく聞こえた。
やがて一時限目が終わり、二時限目は化学室への移動だった。
僕と楸さんは教科書類を抱えながら、二人並んでクラスメイト達と一緒に教室を移動する。
「酷いじゃないか、ひさ――」
と口を開きかけたところでジロリと楸さんに睨まれて、
「真帆、さん」
「ひどいって、何がですか?」
すっとぼけたように言う楸さんに、僕は眉間にしわを寄せて怒りを表しつつ、
「死の呪いの事だよ。一昨日のアレ。誰にも言うな、言ったら死ぬって言うから、ずっとびくびくしてたんだからね?」
すると楸さんは口元を手で隠しながら、
「――ぷぷっ! だって、シモフツくんの怯えた顔が可笑しくて、ついつい」
ごめんなさい、と口にする楸さんの顔は、だけどどこにも反省している色なんて見えなくて。
「でも、嘘は言ってませんよ? 人はいつか死ぬものです。私はいつ死ぬかまでは指定しなかったでしょう?」
「……それ、ただの屁理屈だよね?」
「違いますよー。見解の相違です」
悪びれもせずそう口にする楸さん。
井口先生が手を焼いているように見えたのも頷けた。
これは、相当に質の悪い性格をしている。
それにしても――
「井口先生とひさ――真帆って、どういう関係なの?」
「むかし付き合ってました」
その一言に、僕は思わず目を見張る。
「……えっ?」
「嘘です。井口先生はおばあちゃんの元弟子です」
「あのさ」
と僕はじっと楸――真帆を睨みつけながら、
「息をするように嘘を吐くの、やめてくれる?」
「なんてこと言うんですか!」
真帆はわざとらしく驚いたように、
「嘘を吐くなってことは、息をするなってことじゃないですか! 私、死んじゃうじゃないですか!」
「……嘘吐かないと死ぬの?」
「死にます。その場に倒れてバタン、キュ~です」
あぁ、もう駄目だコイツ。
今朝まで抱いていた楸さんへの恐怖が途端に馬鹿らしくなって、そんな楸さんに良いように踊らされていた自分の間抜け具合に辟易してくる。
でも、っていうことは……?
「じゃぁ、もう、付き合ってるって設定もなしってことか」
何となく呟くと、真帆は「何言ってるんですか」とこちらに顔を向け、
「それはそれ、これはこれです」
「え?」
どういう意味だ?
真帆はすっと視線を前へやりながら、
「言ったじゃないですか。私に告白してくる男とか、いちゃもんつけてくる女とか。そういうのが本当にウザいんです。シモフツくんと付き合ってるって周りに思わせておけば、そういう目に遭うことも減ると思うんですよね」
それに、と真帆は再び僕の方へ顔を向けると、
「シモフツくんも、私のことを監視するのにちょうどいいでしょ?」
「――えっ」
思わずどきりとして、僕は真帆の眼をまじまじ見つめる。
「どうせ先生からも言われてますよね? 私が何かしでかしたら報告しろとか」
「ま、まぁ、そうなんだけど――」
それってどうなんだ?
井口先生としては、こっそり監視してほしかったんじゃないのか?
それとも、あの先生の様子だと、この展開も織り込み済みなのか……?
頭の中であれやこれや考えていると、真帆は、
「これからもよろしくお願いしますね、シモフツくん?」
そう言って、にっこりと微笑んだ。
何だか釈然としない思いで返答に困っていた、その時だった。
正面から歩いてきた一人の女子生徒が、すれ違いざまにちらりと僕たちを見て、不敵な笑みを浮かべたのである。
思わず振り向くと、それはあの、ミディアムショートの二年生で。
「……何ですか? さっそく浮気ですか?」
真帆に声を掛けられて、僕は慌てて顔を前に戻しながら、
「ち、違うって! 何言ってんだよ!」
「あっはははは!」
楽しそうに笑う真帆を、僕は初めて目にしたのだった。
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