第3章

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   2  夢の中とはいえ、己のあまりに積極的な行動に、僕は死にたい気分だった。  いっそのこと部屋の中に引きこもって座禅でも組み、心を無にして全てを忘れ去ってしまいたかったのだけれど、意に反して僕の身体は勇むように我が家をあとにした。  鞄の中に入れた件の古書――魔術書?を真帆に渡すためだ。  何らかの下心を抱いているのであろう己を殴り飛ばして目を覚まさせてやりたい衝動に駆られたが、そんなことを公衆の面前でやらかすほど、僕は馬鹿じゃない。  けれど、夢の中で真帆にキスをしようとした自分がいたのはどうしようもない事実なわけで。  そんなこと、現実の真帆には絶対に言えない、言えるわけがない。  ただでさえ「男の子には興味ない」と断言しているのだ。  最悪、「あなたも他の男子と一緒だったんですね」と冷たい目で見られてお役御免とばかりに捨てられる可能性だってある。  学校内での設定とは言え、せっかく真帆と付き合っていることになっているというのに、むざむざその優越感を手放したくはなかった。  なんて思う自分が下心見え見えで何とも情けなく、深い深いため息が漏れた。  中学生の頃は『恋人がほしい』と連呼する男どもを嫌悪して鼻で笑っていた僕だったけれど、これではそんな奴らと全く同じじゃないか。  嘆かわしい。全く以って嘆かわしい。  先日掛けられた(と思っていた)死の呪い。  あれは確かに死の呪いなんてものじゃなかったけれど、これはもう完全に別の呪い――それこそ、恋の魔法にかけられたようだった。  再び大きくため息を吐きながら、僕は校門をくぐる。  今日も遅刻はしなかったけれど、何だかこんな気持ちの中で授業を受けたくなくて、思わず足をカウンセラー室に向けていた。  見慣れたドアを開け、中に入ると、 「――あら、今日は遅刻しなかったのね」  緒方先生が嘲るように笑って言った。 「おはようございます」  と僕は一応挨拶してから、 「僕だって、毎日遅刻しているわけじゃないですよ」 「そうなの?」  と緒方先生は座っていた椅子から立ち上がり、こちらに歩み寄りながら、 「教室にはいった? 一時限目はここで休んでく? それとも、何か相談でも?」  矢継ぎ早に質問されて、僕は首を振りながら、 「いえ、ちょっと己を見つめ直したくて。ソファー、使っていいですか?」  緒方先生は「なんだそりゃ」とくすりと笑い、 「いいけど、先客がいるわよ」 「先客?」  首を傾げる僕に、緒方先生はあごでソファーを示しながら、 「二年生の(えのき)さん」  言われて部屋の隅に目を向けると、二脚あるソファーのうち、僕がいつも使う窓側の方に見覚えのある女子がアイマスクをして深く腰掛けていた。  その女子生徒――榎先輩は、よくここで会うあの二年生――茶色いミディアムショートの髪と長い手足が特徴的な女の子で、僕と緒方先生の声に気づいたのか、わずかにアイマスクをずらしながら、こちらにちらりと視線を向けてくると、 「……なに? こっちが良いの? 変わろうか?」  と言ってゆっくりと立ち上がり、スカートのすそを手で叩くように直してからすたすたこちらにやってきた。 「あ、いや、別に隣でも……」  と口を開く僕に、榎先輩は珍しくにやりと笑むと、 「――いいよ、別に。もう教室に戻るつもりだったし」  それから緒方先生に顔を向けて、 「それじゃぁね、緒方先生。また来るね」 「はい、いってらっしゃい」  緒方先生もにっこり笑って彼女に手を振る。  なんか悪いことしたなぁ、とぼんやり思っていると、カウンセラー室から出ようとしていた榎先輩がおもむろに僕の方に顔を向けて、 「じゃぁね、シモハライくん」  そう言って、にっこりと微笑んだ。  僕は内心驚きながら、榎先輩を見送る。 「……始めて挨拶されましたよ、僕」  何かいつも無視されてるような気がしていただけに、それはあまりに衝撃的な出来事だった。  緒方先生は「そうかもね」と口にして、 「まぁ、あの子も人見知りが激しい子だからね。ほぼほぼ毎日顔を合わせてたから、そろそろ慣れてきたんじゃないかな?」 「……? そんなもんですか」 「そんなもんよ」  僕は何とも釈然としないままソファーに向かうと、鞄を足元に投げおいて、深く深く腰掛けたのだった。  うとうとし始めてから十数分。  一時限目のチャイムが鳴り、それまで喧騒に包まれていた校内に静寂が訪れる。  遠くからわずかに聞こえてくるのはグラウンドで球技か何かをしている生徒や先生たちの叫ぶ声。  緒方先生は机に向かって何やら書き仕事をしているらしく、会話もない。  このままもう一眠りしようか、なんて考えながら、薄れゆく意識をそのまま手放そうと瞼を閉じたところで、 「しつれいしまーす」  聞き覚えのある声と共に、ガチャリとドアの開く音がした。 「あら? いらっしゃい。どうしたの?」  緒方先生の声。 「サボりに来ました」 「……単刀直入に言うのね」  うっすらと開いた瞼の向こう、そこに居たのは。 「もしかして寝ちゃってます?」 「さぁ。声かけてみたら?」  スタスタと床を擦るような足音。  ふわりと香る、花のような甘い匂い。  長い黒髪のその女の子を、僕は―― 「ま、真帆?」  思わず眼を見開き、居住まいを正す。 「なんだ、起きてたんですか」  つまらなそうに言った真帆の手には、何故かマジックペンが握られていて。 「な、なにするつもりだったのさ!」  いや、言われなくても答えは何となくわかるけれども!  真帆は「ん~」とペンを口元に当てながら、 「寝てたら瞼に目を書くつもりでした」 「やめてよ、そういうの!」 「え~? いいじゃないですか。どうせ洗えば消えるんだし」 「そういう問題じゃないでしょ!」 「じゃぁ、どういう問題なんですかー?」  ヘラヘラ笑う真帆の、その人を小馬鹿にした顔に先ほどまで僕の心をぐちゃぐちゃにしていた下心なんていつの間にか消えていて。  まったく、何なんだこいつは!  もし寝てたら、本当にいたずら書きされてたかも知れない。  そう思うと、真帆の前では何が何でも寝るわけにはいかないな、と心に誓う僕がいた。  緒方先生は呆れたように僕らを眺めながら、 「……随分仲がいいのね」  言われて真帆は首を傾げつつ、 「まぁ、一応、恋人?なので」 「なんで疑問形なの?」 「お試し期間中なんですよ」 「お試し期間?」  はい、と真帆はニヤリと笑んで、 「三か月したら本採用です」  なにそれ、と笑いだす緒方先生。  ……それ、本気? 三か月したら本採用してもらえるの?  なんて思っていると、 「それにしても、酷いですね。自分だけサボりだなんて」 「……いや、それは、だって」  真帆への気持ちを落ち着かせたくてここに来たってのに、その真帆が追いかけてくるだなんて思いもしなかった。  けど、やっぱり夢の時や朝一みたいな感情は沸いてはこなくて。 「って言うか、真帆だってサボってんじゃん」 「私はサボってません。ちゃんと先生に保健室に行くって言って出てきました」 「いやいや、さっきサボりにきたって緒方先生に言ってたじゃん」 「あれ? そうでしたっけ?」 「それにここはカウンセラー室。保健室はあっち」  と保健室のある第一校舎を指差すと、真帆はわざとらしく手をポンと叩いて、 「あぁ、そうでしたか。知りませんでした」 「知ってたくせに」 「知ってても、理解してることにはなりません」 「……これ、何の話してんの?」 「さぁ?」  首を傾げる真帆の、あまりの適当さにため息を吐いていると、 「――悪いけど、いちゃつくんなら他所でしてくれる? ここはデートスポットじゃないからね」  緒方先生に注意されて、僕らは小さく「「はい」」と声をそろえたのだった。
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