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3
残りの時間をカウンセラー室で大人しく過ごした僕たちは、一時限目終わりのチャイムと同時にカウンセラー室をあとにした。
教室に戻るとクラスメイトたちはまばらで、二時限目が生物室への移動教室だということをいまさらのように思い出す。
とりあえず鞄の中から教科書類を取り出したところで、ふと例の魔術書が目に入った。
真帆はどうせ授業なんてまともに受ける気もないだろうし、今のうちに渡しておこう。
そう思った僕は鞄から魔術書を取り出し、
「真帆、これ」
と教室を出ようとしていた真帆に差し出す。
真帆はその魔術書を目にして驚いたように、
「――どうしたんですか、これ」
「うちの両親がどこからか買ってきたんだけど、全然読めなくて。似たような本を真帆が読んでるのを見たことがあったから、もしかしたら真帆なら読めるんじゃないかと思って持ってきたんだ」
思い付きの理由だったけれど、あながち嘘ってわけでもない。
真帆は魔術書を受け取ると、ぱらぱらとページをめくり、
「これは……魔女文字。確かに、読めます」
それから感心したように目を見張りながら、
「すごい……借り腹? 反魂? 何だか怪しげな魔法がたくさん載ってます。たぶん、医療系の研究でもしてたんでしょうか。成功しなかった魔法もあるみたいですけど……」
「そうなの?」
僕は首を傾げる。
「たぶん、これはお医者さんか何かをしてらっしゃった魔法使いの、私的な研究ノートか何かだったんだと思います。けど、それだけじゃないみたいですね。これ、何でしょう」
真帆はそこで顔を上げると、
「これ、お借りしてもいいですか? もっと読んでみたいです」
目をキラキラさせて言うものだから、僕も何だか嬉しくて。
「う、うん、いいよ。どうせ僕にも両親にも読めなかったし」
「ありがとうございますっ!」
満面の笑みでいう真帆の、そのあまりの可愛らしさに見惚れていると、予鈴のチャイムが鳴り響いた。
「あ、急がなきゃ」
「そうですね」
僕と真帆は二人並んで、生物室へと向かったのだった。
第一校舎三階の生物室での授業中、真帆は魔術書――というか真帆曰く研究ノート?の同じページを黙々と読みふけっていた。
裸の女性|(に見えなくもない)が描かれたそのページにはミミズかオタマジャクシがのたくっているような謎の文字が羅列されており、何が面白いのか傍からは全く解らなかった。
けれどまぁ、真帆が喜んでくれているのなら、別にいいか。
僕は欠伸を一つして、机に突っ伏す。
何だかとにかく眠かった。
三日連続で見た真帆の夢のせいだろうか。
寝ていたはずなのに、全然眠れたような気がしないのだ。
少しだけ、少しだけ寝よう。
僕は生物の岡林先生の声を子守唄にしながら、うとうとと夢の世界へ船出しかけて、
ウゥーウゥー! ウゥーウゥー!
突然校内のスピーカーから甲高い音が流れて来たかと思うと、火災報知機がけたたましくなり始めた。
『火災発生、火災発生。速やかに避難してください。火災発生、火災発生。速やかに避難してください……』
ウゥーウゥー! ウゥーウゥー!
途端に騒がしくなり、僕は慌てて飛び起きた。
生物室内だけでなく、他の教室でも騒ぎが起こっているのか、校内全体がざわつき始める。
やがてもくもくと白い煙が教室内の床に充満し始め、中には叫び声をあげる女子の姿もあった。
「みんな落ち着ていて! すぐに後ろの非常階段から外へ出て! 後ろのグループから順番に!」
岡林先生が指示を出し、僕らは順番に避難を始めた。
幸いなことに(?)、煙ばかりで火はまだどこにも見えない。
やがて自分たちのグループの番になり、はたと気づく。
――真帆が、いない。
僕は慌てて辺りを見回す。
真帆はこの騒ぎに全く気が付いていないのか、先ほどと同じ格好で椅子に座ったまま、まだ魔術書を読み続けていた。
急いで真帆のもとまで駆け寄り、その腕を引っ掴む。
「――っ! な、なにするんですか!」
眼を見開き、僕に抗議する真帆。
僕は周りを指さしながら、
「何してんの! 火事だよ、火事!」
「えぇっ?」
いまさらのように驚き、席から立ち上がる真帆。
その途端、手から魔術書が床に落ちる。
「――あっ、本が」
真帆は腰を下ろし、落ちた本を探し始めた。
けれど、足元に充満した煙のせいか、どこにも本は見えなくて。
「あれ? どこ? どこにいったの?」
珍しくあの真帆が焦りだして、僕も一緒になって床の上に手を伸ばしたところで、
「お前ら何してんだ! 急げ!」
岡林先生の叫び声に僕は立ち上がり、真帆の腕を引っ張りながら、
「真帆、急いで!」
「で、でも、本が――!」
「いいから、早く!」
無理やり真帆の肩を掴んで立たせると、僕はそのまま真帆を連れて非常階段へと向かう。
後ろ髪をひかれるように、真帆は未練がましくちらちらと後ろを振り向いていたが、岡林先生に促されながら階段を駆け下り、グラウンドへ急いだのだった。
結論から言えば、火事なんて起こっていなかった。
確かに学校の至る所から煙が上がっていたのだけれど、何台もの消防車が来て消火に当たったにもかかわらず、どこからも火の手は上がっていなかったというのである。
しばらくして充満していた煙も消え去り、あとに残ったのは普段と何も変わらない校舎の姿があっただけだった。
念のため消防士による細かいチェックも行われたが、やはりどこにも異常はなし。
結局、何が起こったのかはわからなかった。
井口先生はもしかしてまた真帆が何かやらかしたんじゃないかと様子を見に僕らのところまでやってきたけれど、どこか不安げな様子の真帆を見てすぐに無関係と悟ったのか、「お前らも気をつけろよ」とだけ言ってどこかへ去っていったのだった。
さらに詳しい調査のために昼からの授業は休みとなり、僕ら生徒は先生たちから帰宅を言い渡された。
僕らも教科書やらを取りに生物室に戻ったのだけれど、
「――ありません」
真帆が不意に口にして、
「ないって、何が?」
僕は首を傾げた。
真帆は眉間にしわを寄せ、
「魔術書が……なくなってます」
顔を蒼ざめさせながら、そう言った。
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