第6章 魔法使いの少女たち

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   3  放課後、部活に行くというユキを見送り、わたしはシモハライ先輩や楸先輩のいる二年生の教室へ向かうべく、三階へ続く階段を上がっていた。  すれ違うのは、これから部活や委員会、或いは帰宅の途に就くたくさんの二年生や三年生の先輩たちの姿。そこにあるのはいつもと変わらない日常で、一昨日までのどこか恐怖を抱えていた数日とは大きく異なっていた。  榎先輩に聞いたシモハライ先輩や楸先輩の教室は三階に上がってすぐ右手側のE組で、わたしは開けっ放しのドアから隠れるようにして教室の中を覗き込んだ。  談笑している先輩たちの中で、窓辺に座る男の子の姿がひとつ。 「――あれ? 鐘撞さん?」  ふとこちらに顔を向けたシモハライ先輩が口にして、微笑みながらわたしのところまでやってくる。 「あ、こ、こんにちは、シモハライ先輩」 「大丈夫だった? 検査」 「あ、はい。何事もなく」 「良かったね」 「シモハライ先輩は?」 「う~ん」  とシモハライ先輩は苦笑いしながら頭を搔いて、 「まぁ、一応大丈夫。でも僕の身体にも宿ってる魔力の一部がそがれてるって」 「魔力? シモハライ先輩も、魔法使いなんですか?」 「え? 違う違う!」  シモハライ先輩は首を横に振って、 「魔力ってのは、生き物の生命力そのものって話だったでしょ? 今回の件で僕の生命力――魔力は真帆にちょっとだけ吸い取られちゃったらしいんだ」 「え、そ、それ、大丈夫なんですか?」 「大丈夫、大丈夫。本当にちょっとだけだから。それに体力的な意味では常に真帆に吸い取られているようなもんだしね」  あはは、と笑うシモハライ先輩は、彼の言う通り本当に大丈夫そうで。 「むしろ真帆の方が気にしていたよ。僕から魔力を吸い上げてしまったことに罪悪感でも抱いてるのか、今日一日やけに大人しくてさ。僕の方が心配になったくらいだよ。さっきも“私、秘密基地に行って帰りますね。今日は無理しないで先に帰っていいですよ”って言って、僕を置いて行っちゃったし」 「……そうですか」 「僕もちょっと心配でさ。真帆、普段は明るくて無茶苦茶なことばかりしてるくせに、こういう時はものすごく落ち込んじゃうからさ」  そこでシモハライ先輩は「そうだ!」とぽんと両手を叩いて、 「鐘撞さん、僕の代わりに秘密基地に行って、真帆の様子を見てきてよ」 「え。わたしがですか?」  なんで、どうして? 「僕が行っても何をしてあげれば良いのか、今だによく解らないんだ。その点、鐘撞さんなら同じ魔女だし、何か通じるものがあるかも知れないでしょ?」  え、そ、そんなこと言われても! 「む、無理ですよ、わたし! そんな、だって!」 「大丈夫、大丈夫! 頼むよ、鐘撞さん! お願い!」  ポンポンと肩を叩かれて、わたしは「え~!」と声を出さずにはいられなかった。    4  その秘密基地は、夢で見たのとまったく同じ場所にあった。  鬱蒼と生い茂る木々の中、重々しく閉じられた観音扉。  わたしはその扉を、勇気を振り絞って開けてみる。  ぎぎぎっと重苦しい音、その先に見える、天井から吊るされた裸電球の列。 「お、おじゃましまぁす……」  わたしは恐る恐る、開けた扉の隙間から中に入る。  数歩足を進めたところで、  ガッチャン!  背後から大きな音がして、わたしは「ひいっ!」と声を漏らして振り向いた。  ただ、開けた扉が閉まっただけの音だった。  何をビクついているんだ、わたし! 大丈夫、大丈夫! だって、夢で会ったじゃない、普段の楸先輩に。とても優し気な微笑みで、綺麗で、可愛くて、ちょっといたずら好きそうな感じだったけれど、悪い人ではなかったはず。  そう、あれはすべて夢魔の所為。夢魔と馬屋原の所為なのだ。  楸先輩一人なら、なにも怖いはずがない。  けれど、扉の向こうのその一本道は、夢の中で馬屋原に会う前に通った延々と続く道ととても良く似た造りになっていて、どこかやっぱり恐怖を覚える。 「だ、大丈夫、大丈夫、大丈夫……!」  わたしはおまじないのようにその言葉を口の中で繰り返して、けれど夢とは違い、裸電球の道はそんなに長くは続かなかった。  一、二分ほどビクビクしながら歩き続けていると、やがて目の前に十メートル四方ほどの大きな部屋にたどり着いた。  壁際には沢山の本棚が並び、それに囲まれるようにして床の上には大きなチェス盤や開けっ放しの旅行鞄(?)古めかしい地球儀や望遠鏡、砂時計、鏡や天秤、映画やアニメに出てくる魔法使いが振り回してそうな(たぶん)魔法の杖……なんだかよくわからない、雑多なものが散乱している。  片隅の応接セットの上には誰かの私服と思われる服や下着、スカートまで投げてあって、そのあまりに雑然とした部屋の様子に、わたしはそれまで怯えていたのを完全に忘れ、思わす「うわぁ……」と呆気に取られてしまったのだった。  そんなわたしの漏らした声に気づいたように、 「――誰ですか?」  聞き覚えのある声がした。  見れば、正面の壁際、コンソールテーブルの前に一脚のアンティーク調の椅子が置いてあって、そこに腰かけて猫を撫でている一人の少女の姿に私はようやく気が付いた。  部屋の中のあまりの様に、そこに人がいることに気が付かなかったのだ。  いったい誰、なんてことをいまさら言わない。  その少女は長く美しい髪を後ろにながし、膝に抱えた黒い猫の背中に手を当てたままで、 「あら、アオイさん」  わたしの名前を口にした。  いつの間にわたしを下の名前で呼ぶようになったのだろう。夢の中で、もうすでに呼ばれていたような気もするけれど。 「いらっしゃい。魔法部へようこそ」  そう言って、にっこりと微笑んだ。  ……魔法部? そんなの、聞いたことないのだけれど。  思いながら、わたしはぺこりとお辞儀して、 「す、すみません、勝手に入ってきて」 「気にしないでください。お好きなところへどうぞ」 「え、はい――」  とは答えたものの、こんな雑然とした部屋でどこへ行けばいいものやら。 「あ、ごめんなさい。あまりにも部屋が汚いですね」  言うが早いか、楸先輩はさっと右手を挙げて小さく呪文を口にした。  その途端、スルスルガタガタ、床の上に散らばっていたものが勝手に部屋の隅へと片付けられていく。  応接セットのソファに投げられていた衣服も、パタパタと折りたたまれていった。 「どうぞ、そちらへ」 「ありがとう、ございます……」  ソファに腰かけながら、思わず折りたたまれた衣服を見やる。 「あ、それは私のじゃなくてなっちゃんのです」 「なっちゃん」 「榎夏希」 「あぁ」  確かにその衣服は小柄な楸先輩が着るには少しばかり大きめなような気がして――じゃなくて。 「楸先輩は、もう大丈夫なんですか?」 「……何がですか?」 「その、体調とか」  楸先輩はふっと小さく微笑みながら、 「大丈夫ですよ。もうすっかり良くなりましたから」 「そ、そうですか。それは良かった」 「……」 「……」 「…………」 「…………」 「………………」 「………………」  話が続かない。  いったい、ここから何を話したらよいものか。  あぁ、困った。どうしよう。これじゃぁ、帰るに帰れないよ。  シモハライ先輩に言われて様子だけ見に来ました、元気そうなんで帰りますね、じゃ! なんてことが簡単にできないわたしには、なんだか息苦しい瞬間。  さぁ、どうしよう、と思っていると、 「今回の件は、本当にごめんなさい」  楸先輩が、そう口にした。 「え、いえ、そんな」 「怖い思いをさせてしまいました」 「き、気にしないでください! 楸先輩の所為じゃなくて、全部あの馬屋原が悪いんですから」 「それでもです。これまで私はこの魔力をなんとかうまく制御して生きてきました。それなのに、ユウくんと付き合うようになって、何だか落ち着かなくて、気持ちを抑えきれなくなって、変に周りの人たちを意識して、ユウくんを取られるんじゃないかと怯えてしまって。すべて私の弱さの所為なんです」 「いえ、そんな……」 「……」 「……」 「…………」 「…………」 「………………」 「………………」  再びの長い沈黙。  夢の中で会ったこの楸先輩は、「息が詰まる!」とか言って場の雰囲気を明るくしようとしていたけれど、今はそんな気分にもなれないらしい。  ――だけど。 「それは、仕方のないことだと思います。わたし、まだ恋なんてしたことないし、楸先輩の気持ちを全部理解できるわけじゃないですけど、自分の好きなものを誰かに取られそうになったらと思うと、怖くなるその気持ちもわかります。その気持ちを利用しようとした馬屋原が、全面的に悪いんです。それでいいじゃないですか。楸先輩は何も悪くありません。純粋に、シモハライ先輩のことを愛しているんですよね?」 「……はい」  頬を朱に染める楸先輩は、なんだかやたらと可愛らしくて、わたしも思わずどぎまぎしてしまう。 「な、ならそれでいいじゃないですか! 先輩は何も悪くありません! ね?」 「……そう、ですね」 「……」 「……」 「…………」 「…………」 「………………」 「………………」  三度の沈黙。  耳まで赤く染める楸先輩に、わたしは場を取り繕うように、 「そ、そんなことより、馬屋原、どうなるんですかね? 早く捕まるといいですね!」  それに対して、楸先輩は「あっ」と小さく口にしてから、 「馬屋原先生なら、もううちのおばあちゃんたちが捕まえましたよ」 「えっ! いつの間に!」  思わぬ事実に、わたしは思わず腰を浮かせる。 「ちょうど先ほどイノクチ先生から連絡があって、魔法協会のお年寄りの方々の仕掛けた罠にまんまと引っかかって捕まえたんだそうですよ」 「良かった! じゃぁ、もう安心ですね。夢魔の件もこれで――」  けれど、そこで楸先輩は軽く首を横に振って、 「なんですが、どうやら捕まる直前に自分自身に対して忘れ草の薬を使ったらしくて」 「え?」 「……夢魔の記憶も、私たちのことも、自分が教師をやっていたことも、全部忘れてしまったそうです」 「そんな」 「仕方ありません。あとは魔法協会のお年寄りの皆さんに任せましょう」 「そう、ですね」  じゃぁ、楸先輩の中で眠っている夢魔の件は、もうどうすることも出来ないかも知れないってこと? 打つ手なし? このまま、楸先輩はいつ目覚めるともしれない夢魔とともに生きていくことになるってこと? それって……  考え込みそうになるわたしに、けれど楸先輩は、 「まぁ、気にしたってもうどうにもなりません。もしかしたら、お年寄りの方々が何か良い案を出してくれるかも知れませんし、それを待ちましょう」  それより、と楸先輩は改めて首を傾げて、 「アオイさんはどうしてここに?」  訊ねられて、わたし居住まいを正しながら、 「あ、その、シモハライ先輩に様子を見てきてほしいと頼まれまして」 「ユウくんに?」 「はい。僕から魔力を吸い上げてしまったことに罪悪感を抱いているのか、やけに大人しかった。自分が行っても何をして良いか解らないからって。それと、わたしなら楸先輩と同じ魔女だし、何か通じるものがあるかも知れないでしょって」 「なんですか、それ。押し付けられてるじゃないですか。ユウくんも勝手なことを言いますね、私が罪悪感を抱いているだなんて」  ぷうっと頬を膨らませた楸先輩に、わたしは首を傾げながら、 「違うんですか?」 「アオイさんたちには申し訳ないという気持ちでいっぱいですけど、ユウくんに対しては。だって、わたしとユウくんは毎日――」  とそこで楸先輩はぴたりと口を閉じ、じろじろとわたしの方を見つめてから咳ばらいを一つして、 「まぁ、そんなことより、アオイさん」 「はい」 「あなたも、うちの部に入りませんか?」 「へ?」  うちの部?  そう言えばここに来た時、楸先輩が魔法部とか何とか言っていたっけ。  たぶん、その名前からして学校公認って訳じゃないのは間違いないだろう。  でも、それじゃぁ、 「いったい、何をする部活なんですか?」  訊ねると、楸先輩はにやりと笑んで、 「魔法のお勉強、という名目のもと、魔法で遊ぶ部活です」 「魔法で遊ぶ?」  そうです、と楸先輩は頷いて、 「魔法で遊ぶんです。遊びとはつまり学ぶこと。魔法で遊ぶことによって、より高度な魔法を習得していくことを目的とした活動していきます」 「……遊びが、学び?」 「そうですそうです。ほら、アオイさんの家は魔法協会に所属していませんよね? たぶん、個人営業の魔法活動をなさっていると思うんです。ということは、アオイさん、これまで殆ど同じ魔法使い同士で遊んだこと、ないんじゃないですか?」 「それは、まぁ、はい」 「これはチャンスだと思うんです。より高度な魔法を習得していくには、やはり他の魔法使いと遊ぶのも大切だと思いませんか? お母さんやおばあちゃんから魔法を教わるだけではなくて、もっと他の人たちからも色々なことを吸収していくべきだと私は思うんです。そうは思いませんか? もっと見聞を広げるために、是非うちの部活に入ってみませんか?」  楸先輩は膝に乗せた猫を下すと、まるで詰め寄るようにわたしのところまで歩み寄り、これでもかってくらい顔を近づけて、 「――ね? 騙されたと思って、入りましょうよ!」  魔力で虹色に光る瞳をキラキラさせながら、にっこりと微笑んだ。  その笑顔、とても輝いていて、眩しくて、綺麗で、可愛くて。  どんな魔法も使ってなんかいないはずなのに、とても魅力的で、魅惑されて。  わたしはそんな微笑みに見つめられながら、ママやおばあちゃんに言われた言葉。 『魔法使いや魔女を、簡単に信じちゃいけないよ』  その言葉を頭の中で反芻しながら、けれど口から出てきた返事は。 「……はい」 「やったー!」  ジャンプして喜ぶ楸先輩の姿を見ながら、「やれやれ」とわたしは小さくため息を吐く。  そんなわたしの両手を握り締めながら、楸先輩は心底嬉しそうな満面の笑顔で、 「これからよろしくね、アオイちゃん!」 「――はい」  わたしは肩を落としながら、返事した。 ……夢魔と魔法使いの少女たち 了
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