よどみ池

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 昔々、ある山のおくに、ちいさな村があった。  村人たちは、日々、やせこけた畑をたがやし、野菜をつくっていた。  裕福ではなかったが、彼らはいつも笑顔であった。  天気のいい日には日光浴をし、曇りの日には薪となる小枝をあつめ、雨の日には釜に水をためる。  娯楽のない村であったが、休憩の時、紫色の煙をふく、葉巻をすっていた。  それから、お酒も少々ゆずりうけていた。夜にはこじんまりとした宴会もおこなわれた。  子供たちには都で流行っている玩具が送られた。  それらは、月に一度ほど、下の町からおとずれる『鬼除けの巫女』の師団がおいてゆく。 『鬼除けの巫女』――。  そう、麓の森には鬼がひそんでいる。  目撃者の情報によると、鬼は人の皮を剥ぎ、巣に持ち帰るらしい。  鬼を退ける色香を放つ巫女を、村人たちは『鬼除けの巫女』と呼んでいた。  さて、村の裏手には、泥でよごれた「よどみ池」と呼ばれた池があった。  よごれがひどく、晴れた日でも、内部を見透かすことができなかった。  魚は生息していない。  やけに巨大な羽虫が水の上をはばたき、いくつもの足をもった虫が付近の地を這っている。  子供が遊び場として利用していると、大人たちはきびしく叱る。  よどみ池に立ち入ってはならない。  穢れてしまった魂の寝床であるのだ。  いたずら心にちかよってしまえば、おまえの魂まで池に沈められてしまうだろう。  子供たちは、幼き日に親よりそう聞く。  ある、月のない夜のことだった。  縄でくくられた女が、数人の男にひきずられ、よどみ池につれてこられた。  男たちは皆、口元を布でおおいかくしていた。  池のほとりには、簡易的な祭壇が拵えてあった。そのすぐそばに女を放ると、女は、死にたくないと泣いた。うごけない体で必死に這い、離れようとした。  男のひとりが女の腹をふみつけ、うごきをとめた。 「祈りのことばを唱えよ。あの世にまで、罪をもってゆく気か?」  女はなおも、命乞いをつづけ、泣き喚いた。  男たちは、両足をくくった縄を、重石につないだ。  白頭巾をかぶった男は手に斧をもっていた。  彼は目をつむると念仏を唱え始めた。  ひと段落すると、目を開き、斧を、いきおいよくふりあげ、なんどかたたきつけ、女の首を切った。  断面から、血とともに、粘性のある鉛色の液体がながれでた。男たちは、うごかなくなった女の体をかつぎあげ、池のなかに放りいれた。大きな水しぶきが立ちあがり、しばらくの間は、ぶくぶくと気泡があがっていた。やがて水面は凪にもどった。山鳥が一羽とびたった。  ちなみに、切断された頭部だが――村の言い伝えによると、よどみ池の底で死者の頭と体がおちあうと、霊として浮上し、呪いをもたらすというものがあった。  そのため、斧でこまかく刻んだ後、火葬するのが習わしであった。多くの男たちは、残っていた頭部の粉砕にとりかかった。  白頭巾をかぶった男は、胸元から笛をとりだし、暗夜にむけて吹いた。『鬼除けの巫女』からゆずりうけた品物だが、麓の森に居つく、鬼の嫌う音を出すらしい。  村には、遥か昔より、奇病が蔓延していた。  原因はまったくの不明だが、口から鉛色の液体を吐く。  その液体はやがて凝固し、金属となった。  肺がその液体と金属で、圧迫されるのだろう、患者は、発生から三日もしないうちに息絶えた。  村には一人の医者が滞在していた。  彼は患者の遺体を解剖し、内部に溜まった金属を陽に透かした。  いくつかの医学書を紐解き、やがて、ひとつの結論をくだした。  その医者がいうには、感染症のうたがいがあるため、発症した者はただちに処刑、よどみ池に沈めるようにとのことだった。  医者のいいつけを守り、村人たちは感染者があらわれたら、縄でくくりつけ、よどみ池に捨てた。  ふたたび浮上し、村人たちを呪い殺さぬよう、重石をしっかりくくりつけた。  奇病を恐れ、村から逃げようとする者は、ほとんどあらわれない。  皆、村にいることがしあわせであり、外にでることはおそろしいとしんじている。  山のむこうでは大きな戦争がおきていて、男たちは皆、兵として駆りだされているときいていた。  病はたしかに恐ろしいが、日々、よそ者の牙におびえる生活のほうがよほど恐ろしさをかんじた。  それに、麓の森には鬼がひそんでいる。  彼らは霧のなかをしのびより、獲物を解体する。  ある時、病を患った恋人を追いかけて、麓の森にまでおりた若者がいた。  断末魔の悲鳴をきいた。声のした方へゆくと、霧のなか、うごめく影をみた。  影はひとりの女をとりかこみ、蹂躙しているようだった。獣のような雄叫びとともに、肉の裂ける音、骨の砕ける音、そして、女の悲鳴がきこえ、やがてしずかになった。しばらくした後、若者が喧騒の場へとかけよってみると、恋人の頭部だけが残されていた。男は村にもどると、「鬼を見た」と青ざめた顔でいい、精神的苦痛のため、一週間後に死んでしまったそうだ。
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