よどみ池

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 月に一度くらいの頻度で『鬼除けの巫女』が村におとずれる。  閉塞されたこの村が外界と唯一接触できるのは、『鬼除けの巫女』の師団がおとずれた時だけであった。  人離れした、うつくしい巫女であった。鬼をよせつけぬ、ふしぎな香りを放っている。麗しき顔をつねにふせ、神の力の宿る馬に乗った。その優美なたたずまいに、村の男たちは目をうばわれた。  巫女が村長と医者と会談している間、召使たちはもってきた品々を村の倉庫においてゆく。  山ではとれない魚や肉類、装飾具等など・・・・・・、それから嗜好品として葉巻と酒があった。  葉巻の煙を吸っていると、多幸感につつまれた。  酒も同様であった。よほど良い果実で作られた酒のようで、酩酊する甘みをふくんだ匂いを放っている。  両方とも、頭のなかが夢をつつまれたような心地となり、ピンク色に染まった。  とりわけ、流行り病の患者にあたえる、最後の嗜好品としても好まれた。  おそらく、処刑に対する恐怖を取り除くため、酒と葉巻はあたえられているのだと、村人たちは予想した。  村長は巫女に感謝のことばをのべた。  この村には金銭的な価値はなにもない。そんな村を見捨てずに、つねに物資の供給をつづけている巫女様には頭があがらない。巫女様がいなければ、村は病の恐怖にうちひしがれていただろう。村人一同感謝している。・・・・・・そんなことばをつらねた。  巫女は微笑をうかべ、こういった。 「たしかに私は政府より派遣された、一使者でしかありません。最初のほうは、正直にいえば、これは仕事なのだと割り切っていた部分もありました・・・・・・でも、ここにすむ皆様の生活をみて、考えを改めたのです。村の皆様は、閉塞的な環境におかれながらも、たくましく、そして、楽しそうに人生を謳歌なされています。今、都にすむ者たちは、裕福な生活をしておりますが、皆様のような、素敵な笑顔をうかべていません。常に、疲れと悲壮感に打ちひしがれている。戦への恐怖心もあるのでしょう。つねに死と向かい合わせの環境におかれ、常に影がさしているようで、お日様がみえない。でも、ここには素敵なお日様があるでしょう? ・・・・・・私たちは、もっとあなた方から人生とはなにか? を学ぶべきなのでしょう」着物の袖口で口元をおさえ、クスクスと巫女は笑った。 「もう、私は仕事だから村にきているというかんじがしないのです・・・・・・たとえ、解任されたとしても、私はここにくるでしょう。そう・・・・・・私自身がこの村が好きになっているのです。これからも、よろしくおねがいしますね」  そして、その夜ふたたびひとりの患者があらわれ、よどみ池にしずめられた。  しずめ終えると、白頭巾の男はいつものように笛を吹いた。  夜空にひびく笛の音をきき、闇の中、何者かがうごめき始めた。  村人たちが寝静まった頃、畔の木陰にかくされた、木製の小船が池にうかんだ。  小船に乗っていたのは、『鬼除けの巫女』の師団であった。オレンジ色の提燈のあかりで、よどみきった水のなかをてらしていた。しばらく捜索した後、血の濃度の高い場所をみつけた。泳ぎに自信のある男衆数名が、池にとびこみ、遺体をみつけた。重石のつながった縄を切り、遺体を池からひきあげた。  巫女は船にはのらず、畔で煙管をすっていた。  男たちが死体を陸にひきあげると、露骨にいやな顔をしてみせた。 「ワシのそばにそんなけがらわしいものをよせるな」  巫女にしかられ、男たちはいそいで遺体に筵をまいた。  まきおわると、馬につながれた荷台のなかに放り入れた。 「うまく銀化はすすんでいたか」 「ハ。問題ありません」 「ウム。ではひきあげるとしよう」  遺体の内臓は銀によって侵蝕がすすんでいた。  体の内部が金属に侵される謎の風土病。  その病によってできる金属は、よどみ池の水とまざることで、銀に変化する。 「あの医者がゴミ池の水と、ゴミ共のこの病気の関係性にきづいた時は、なにを世迷言をとバカにしたが・・・・・・、これはなかなかいい金になる。村を焼き払わなくてよかった」  銀は、彼女たちの国とって、とても貴重な物だった。  海外に輸出するものがとぼしいこの国において、この村人たちから採取できる銀は重宝された。  移動のさなか、荷台のなかでは、死体の肉剥ぎをおこなっていた。  必要なのは銀化のすすんだ内臓部分だけで、必要のない肉部分は剥ぎ取るのである。  馬上で月見をおこないながら、酒をのんでいた巫女は、後方から子供の悲鳴をきいた。 「どうした」 「子供がひとりおいかけていたので捕まえました。死んだ女の弟らしく・・・・・・」 「つれてこい」  巫女のまえに子供がとりおさえられた。  巫女は男衆から太刀をうけとった。  鞘からぬきとられた刀身をみて、子供はヒと息をのみ、涙をながした。 「ガキよ。なにをしにきた」 「お、鬼が・・・・・・」 「は?」  子供は、涙をいっぱいにためた目をみひらくと、おおきな声でさけんだ。 「姉ちゃんはいっていた! この村にいたらダメだ、早く逃げないと、皆あの病気で死んじゃうって。でも大人たちは、みんな逃げようとしない。  姉ちゃんとぼくは、かんがえた。どうして、皆村から出ようとしないのかって・・・・・・ぼくたちは、ひとつの予想をたてた。大人たちが皆吸っている、あのおかしな草のかたまりだ。おまえ達鬼が、・・・・・・あの煙のでる草で、皆をおかしくしているんだ! あれを吸うと、皆頭がおかしくなる」  巫女の眉根が、ぴくりとつりあがる。  そのさまをとらえた子供が、くるったように泣き叫んだ。 「やっぱり、そうなんだ。お、おまえは、鬼除けの巫女なんかじゃない! おまえ自身が鬼なんだ! こ、この鬼がっ・・・・・・鬼、鬼、鬼・・・・・・!  ぼくの姉ちゃんを・・・・・・返せ」  男のひとりが巫女に耳打ちした話しによると、肉剥ぎのさなかの荷台へ、子供は乗り込んだという。  肉を剥がされ無残なすがたとなった姉をみて、子供は冷静さを欠いているようだった。  空にむけて甲高く笑ったあと、巫女は太刀をふりあげた。  子供はあきらめたように、目をつむった。 「ガキ。おぬしなかなか賢いのぅ。姉想いのところも気に入った。よし、選ばせてやろう。今ここで首を切られ死ぬか、あるいは、ワシに仕え、永遠にその身をささげるか――」 「なぁ、さきほどガキがいっていた鬼とはなんのことじゃ? 前から村の者どもがワシのことを『鬼除けの巫女』などと呼んでいるというのはきいたことがあったが、なにか関係があるのか」 「ハ・・・・・・。薬巻きの草をあたえる以前は、村から脱走する者が多くいました。その時、我々が始末していた光景を目に留めた者がいたのでしょう・・・・・・。それで、麓の森を通っても我々は無事だから、そのように呼ばれているのでは」 「フム。世間知らずのハエが至りそうな、浅はかな思考の行く末じゃ。ところで、国元へ送る銀だが、すこしばかり残しておいてくれ。簪を作らせよう」 「はぁ」 「ふたつほど繕えば、鬼の角のようにみえるかの?」  やがて、銀の兵器を使う時代はおわった。  火薬の戦争が始まると、村とよどみ池は火の海にしずんだ。  巫女は生涯、眠る時に簪を枕元において眠った。  そうすると、夢見心地のなか、死者のすすり泣きをきくようで、おちつくのだという。
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