トラブル

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 合唱コンクールは大抵の学校でおこなわれていると思うが、その時のあるあると言えば、男子が真面目に練習しないと言う事だと思うのだ。  一度は必ずと言っていいほど喧嘩が勃発する。  大人になって考えて見れば、変声期の男子が多い中の中学校の合唱コンクールは男子にとっては、嫌なんだろうなと想像することもできるのだが・・  でも、青春真っただ中の女子は、そこまで気が回らないのも仕方のないことなのだ。  紗枝の中学校では、合唱コンクールは毎年行われる学校行事の中のクラス単位の行事だった。  学年の課題曲と、自由曲の2曲を仕上げなければいけない。  学年ごとの順位と、学校全体での順位も付き、表彰されるのだ。  1年生は大抵、真面目に音楽の先生と共に、音楽の授業中に練習し、何とか無難にまとめてくる。  3年生は最終学年と言う事もあり、クラス替えのない紗枝の中学校では、中学校の集大成と言う事で、迫力のある曲は、実に強く。ハーモニーも美しく、素晴らしい合唱に仕上げてくる。  紗枝には3つ違いの姉がいて、学年ごとの課題曲は、ここ何年か変わっていなかった。  紗枝は3年生の課題曲「岬の歌」がとても好きだった。  ところが、紗枝たちが3年生になった時に、急に学年の課題曲が変わってしまった。  音楽の先生が変わり、これまでの課題曲は一昔前の物になるので、〇HK全国合唱コンクールで推奨されている物に合わせましょうと言う事になったのだ。  紗枝のクラスはこの2年間学年ではトップ。1年生の時には学校全体で3位。2年生の時には学校全体で2位の表彰を受けていた。  今年は3年生。  紗枝は合唱部で、歌は勿論だが、ピアノが弾けたので伴奏を頼まれることが多かった。  だが、クラスには紗枝よりももっとピアノが上手な子もいたので、紗枝は、最後の合唱コンクールは、一曲は歌いたいと新しい先生に希望を出した。  伴奏を半分替わってほしいと言った紗枝に、もう一人のピアノが弾ける子は嫌な顔一つせずに、引き受けてくれた。 「紗枝ちゃんだって、歌いたいよね。」  その子とは小学校も同級生だったので、ピアノが弾ける同士、とても仲良しでもあったのだ。  その子は紗枝が伴奏をするのは教員に言われるので致し方なくて、本当だったら合唱部に入ったので歌いたいのだ。と言う事をよくわかってくれていたのだ。その子は紗枝より一歩上の道を行き、ピアノのレッスンがある為クラブ活動には入っていなかった。紗枝は音大はあきらめるよう親に言われていたので、せめて、学校にいる間は音楽と向き合っていたった。  紗枝は一人で歌う事も好きだったが、合唱でのハーモニィが身体が震えるほど好きだった。心は勿論の事、震えた。  自分では出せない男子の低い声と、大勢の女声パートが合わさると本当に美しいハーモニィが生まれる。その瞬間を切り取ってキラキラした箱に詰めておきたいほど好きなのだ。  でも、その瞬間で消えてしまうハーモニィだからこそ尊いとも思っている。  クラス全員が心を合わせて、歌うその瞬間が宝物なのだ。  ところが、課題曲が変わったことで、これまで何となく弾けると思っていた課題曲の伴奏を一から覚えなくてはいけなくなり、自由曲は毎年違うので、そちらも一から覚えなくてはならなかった。  音楽の担任は紗枝に課題曲を。友達に自由曲を伴奏するよう言ってきた。  どちらをとっても最初から覚えなくてはいけないので、二人は担任に言われたとおりにしようと、頷きあった。  毎年、自由曲を決めるのには結構揉めるのだが、この3年生の最後の年は、本当に決まらなかった。  途中まで決まっていた曲が別のクラスと被ってしまったのだ。  そして、そのクラスとのくじ引きで負け、新たに曲を選ぶことになった。  ところがなかなか曲が決まらない。  もう、コンクールまで1か月と言うのに、曲も決まらない。  その間は仕方がないので課題曲の方をしっかりと練習した。  紗枝の友達は落ち着かなかった。  自分の弾くべき伴奏が決まらないと練習の時間も少なくなる。  いくら技術が優れていても新しい曲をそれなりに弾きこなすには少々の時間を要するものだ。  まして、歌の伴奏は結構難しいものが多いのだ。    ようやく自由曲が決まったのは2週間前だった。  音楽の担任も時間が短すぎるので、3年生にしては少し簡単な曲を選んで、もう、その曲にするようにと決めて、全員につたえた。  曲が決められなかった自分たちも悪いので、逆らう生徒はいなかったが、音楽の担当教師が決めた曲は、寂しげで、公害を主題にした曲だった。  3年生の集大成と言うには暗い。確かに社会的には意味のある歌だとは思うのだが、中学校3年生で、皆で発表するにはどうにも心弾まない自由曲になってしまった。  課題曲は大分歌い込んでいるので、残りの時間は自由曲の練習に充てた。  いつもだったら伴奏が少し間違えようが、それほどイライラしないクラスメイト達は、曲が思う通りの物ではない事と、時間がなくて焦っているのとで、全体練習の時に伴奏が少しつまづくと、ため息が聞こえる事もあった。  紗枝の友人はため息におびえ、ますますミスタッチが増えてしまう。  事に男子の態度が酷かった。  放課後の練習の途中で帰ってしまう者まで出てきて、紗枝の友人は泣き出す始末だ。  紗枝は、自分は運よく課題曲だったから練習も十分にできたけれど、音楽担当が紗枝を課題曲に決めてくれたからこそで、反対だったら今泣いているのは紗枝だったのだ。  紗枝は、勝手に音楽室を出た男子を止めに廊下を走った。  下駄箱の所で男子に追いつき紗枝は叫んだ。 「ちょっと!それでいいの?曲が気に入らなくても、上手く歌えればもしかしたら好きになれる曲なのかもしれないじゃない。途中で投げ出すなんてひどいよ。」 「あの曲、声が出しづらいんだよ。声の高さが合わないっての?1位目指したかったのに、あの曲じゃだめだよ。」 「声・・・あぁ、男子は声変わりの子もいるもんね・・・・わかった。先生に相談してみるからとにかく練習に戻ってよ。伴奏だって時間のない中一生懸命練習してるんだよ。イライラしてるからって当たらないで上げてよ。」 「ちゃんと先生に言ってくれるんだったらもどるよ。」 「今からすぐに言ってくるから。」  紗枝は、職員室に走った。 「先生・・・」  音楽の担任も紗枝のクラスの問題にはうすうす気づいてはいたが、それが自分の選んだ曲の男性パートにあるとは思ってもいなかったらしく、楽譜を見直した。  実は、その曲は選んでいた中学校の合唱曲よりは簡単だったのだが、高校の合唱曲だったのだ。  完全に変声期が終った生徒が多い男性パートは中学生には合わなかったのだ。  男性パートをオクタープ上げて、女子のソプラノに歌ってもらい、女子のアルトの部分をそのままの音で男子に歌ってもらう、本来のソプラノパートをアルトに歌ってもらうなど、色々と考えてはみたが、何せ時間が足りない。これから覚え直すにはどうにも難しいのだ。  音楽の担当教員は自分のミスを素直に謝ってくれた。  そして、男子のパートだけを男子に歌ってもらって、どうしても声が出ない生徒は女子のアルトに回し頑張って練習してもらう。女子のソプラノの中でも、男子パートを覚えている生徒には男子パートをオクタープ上げて、歌ってもらった。  ソプラノの人数が減ってしまうので、アルトから何名かソプラノも出そうな生徒を移動した。  自分のパートを覚え直すのは大変だったが、音楽の担当教員も親身になってくれたので、クラスはだんだんとまとまってきた。  紗枝は、元々ソプラノだが、楽譜も読めるし、弱くなりがちな男子のパートを歌う事に決め、男子のパートの音取りも率先して行い、パート練習に励んだ。  男子のパートを男声と女声で歌う事で、これまでにないハーモニィが生まれて、ラスト一週間の総合練習をした時には、クラス全員が、そのハーモニィの厚さに心を震わせた。  『いける‼』全員がそう思った。  難しかった短調の曲だけに、ハーモニィが決まると素晴らしさが際立った。  これまで、短調の曲で優勝したクラスはないが、この曲だったら行けるかもしれない。  何より、パートを入れ替えた事でのこのハーモニィはこれまでに聞いた事の無いものだった。  本番当日。  自由曲の伴奏もようやく弾きこなし、課題曲と合わせて、トップを狙えるレベルになったと思った。  それでも、短調の曲ではトップは無いか。とも考えながらも、クラス全員で心を一つにして大切な最後の二曲を歌いきった。  課題曲は、同じ曲を歌うので、クラスのレベルが分かってしまうが、こちらは、これまでにずっと学年トップであったクラスらしい素晴らしい出来栄えだった。  いよいよ自由曲。他のクラスも、紗枝のクラスが揉めに揉めていたことは知っていたので、今年こそ、自分たちのクラスがトップを。と、願いながら聞いていた。  綺麗にパートが分かれているわけではないので、課題曲が終ったあと、壇上で自分のパートへと男女入り乱れて場所を変え始めると、会場にざわめきが広がった。  そして、自由曲の悲し気な前奏が美しくピアノで弾かれた。  その伴奏に続いて、最初はピアニシモから徐々にハーモニィが増え、とても厚みのある曲の一番の盛り上がる場所にやってくると、会場からは『ホウッ』という静かなため息がそこここから聞かれた。  紗枝のクラスは学年でも、全校でもトップをとることができた。  クラスメイトは勿論喜んだが、この3年生での合唱コンクールはそれぞれにできる事を一人一人が一生懸命にやった結果なのだと言う事をみんなが知っていた。  紗枝のクラスはトップをとったことよりも、もっと大切な事をこの合唱コンクールで得たようだった。  きっとこれは、この中学校3年生の時だけの出来事ではなく、クラスの一人一人の心に残る大切な合唱コンクールになったのだと、紗枝は目をキラキラさせながら思うのだった。 【了】            
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