教育実習

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教育実習

 僕は本当に教師になりたいのか、進路に迷っていた。  僕の母は小学校の教師で、亡くなった父も同じく小学校の教師だった。  福島は母の実家で母の父、つまり僕の祖父も教師という教師一家だ。一人娘の母の家に、父は婿養子として入った。  東京の大学に行きたいと話した時、祖父に教育学部なら金を出してやると言われ、僕は迷うことなく両親の母校である城東大の教育学部を受けた。  でも、実際に学んでみて、僕なんかが教師になっていいのかと迷っていた。  この前も母に電話で、「三年のうちに一般企業のインターンシップをやって、普通の就職も考えてみようと思う」と言ったら反対され、少し口論になった。 ── 一般企業って、何かやりたいことがあるの? 「別にこれというものはないけれど、でも営業とか、できることはあると思うんだ」 ── そんな適当な気持ちで受けるのは、企業に失礼じゃないの? 「でも、こんな中途半端な気持ちで教師になるのだって、生徒に失礼だろ?」 ── 教育学部に進んだってことは、教師になるつもりだったんでしょう? 「だって、教育学部じゃないと東京に行かせてくれなかっただろ? それに教育関係の会社とか、教師にならなくても学んだことを活かせる道はあると思うんだ」  自分が“でもでもだってちゃん“になっているのはわかっていた。自分の将来をどう決めたらいいのかわからない焦燥感を、母にぶつけているだけなんだってことも……。  いっそ、教師にならないのなら縁を切るとでも言ってもらった方が、楽だった。それを理由にして、教職に進めばいいんだから──。  それがどんなに無責任なことかもわかっていた。  こんな時に父が生きていたら、なんて言ってくれるのだろうか?  僕の父は、僕が八歳の時に亡くなった。  夏休み、たまたま川遊びをしていた教え子が溺れて流された所に通りかかり、迷わず飛び込んでその子を助けたが、自分は力尽きて流され死んでしまったのだ。  遺体は一週間後にかなり川下で発見された。  見ない方がいいと、僕は父の亡骸に会わせてもらえなかった。だからなのか、父が亡くなった実感が湧かないまま葬儀を終え、今でもどう受け止めていいのかわからない時がある。  一人っ子で、父が大好きだった。  皆、「柴田先生は立派だった」とか、「教え子を自分の命に代えて助けた」とか、「いや、教え子でなくても、あの先生なら迷わず飛び込んだだろう」とか、父の死は美談として語り継がれた。  でも僕は、そんな偉くなくても立派でなくてもいいから、ずっとそばにいて欲しかった。  僕が成長するにつれ、周りは僕も父の遺志を継ぎ、教師の道に進むと期待した。というか、既成事実のように語られた。  それが正直、重くもあった。  大学に進学して、地元から離れ、周囲の目がなくなると、ふと、このまま期待に応えることがいいことなのかわからなくなった。  こんな適当な、いい加減な僕が、教師になっていいのかと思うようになった。  その上、モンスターペアレントだとか、教師の過重労働とか、いろいろ嫌な話題を聞くにつれて、自分がそんな現場でやっていけるのか自信がなくなってきた。  四年生になったら教育実習が始まる。そうなると、就活どころではなくなるだろう。今のうちに、どちらに進んだらいいのか考えてみたかったのだ。
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