夏の帰省

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夏の帰省

 夏休みに入り、僕は実家に帰った。  母と祖母が僕の好物をたくさん用意して迎えてくれた。  病気で体の自由が効かない祖父だったが、僕と酒を酌み交わすのを楽しみにしていたらしく、普段は飲まなくなっていたビールを少しだけだが美味しそうに飲んでいた。  夕食後、台所で片づけをする母を手伝おうと、僕は台所に入った。そして、皿を拭きながら、僕の迷いと教育実習の話をした。 「そうね。お母さんもあのあと考えてみたわ。一般企業を研究するのもいい。でも、四年生になったら教育実習は受けてほしい。それで決めたらいいんじゃないかしら?」 「いいの?」 「ええ。あなたの人生だもの。あなたがそれでも教師は無理というなら、それでいいと思うわ」  それから母はくすっと笑った。 「親子よねえ。あなたのお父さんも、最初は軽い気持ちで教育学部を選んだって言ってた。手堅い仕事だからとか」  母は懐かしそうに笑った。  父と母は大学の同期として知り合ったから、父の大学時代の様子を母は知っていた。 「教育実習受けて、気持ちが固まったって言ってたわ。それで、私が実家に戻らないとならないから、福島で教師になるって言ったら、僕も一緒に行くって言いだしたの。福島は桃が美味しいから住んでもいいかななんて、そんな理由でよ」  母は懐かしそうにくすっと笑った。  福島の教員採用試験を二人で受け、合格した。父は千葉の実家の許しを得て母の家の婿養子になることが決まり、学生のうちに婚約したのだという。  そんな話をしながら、母は「あ、手拭きタオルね」と僕が手を拭くためのタオルを引き出しから取り出した。 「あれ? これ」  僕はふとそのタオルに目を留めた。 「このタオル、これどうしたの?」  “有限会社佐藤工業”と書いてあった。隣の佐藤くんがくれたタオルと同じだった。 「ああ。これはお父さんの実家の工場のよ」  母が言う。 「言わなかったっけ? お父さんの実家、佐藤のおじいちゃんは昔、町工場をやってたの。あなたが赤ちゃんの頃に畳んじゃったけどね」  父が亡くなってからも千葉の父の実家とはずっと交流があった。そう言えば、千葉の祖父が怪我をするまで工場をやっていたと、前に聞いた気がした。 「工場跡地を人に貸すことになって、(たけし)伯父さんが倉庫を片付けてたら、営業用のタオルが大量に余ってたから使うの応援してくれって、お中元と一緒にたくさん届いたのよ」  剛伯父さんとは亡くなった父の一番上の兄の名だ。  教育実習、タオル、桃、福島──。  僕の頭の中でそれらのワードがぐるぐると巡った。 「ね、父さんの若い頃の写真ってある?」 「部屋にあるわよ」    母の部屋へ行くと、母は古いアルバムを取り出して僕に見せてくれた。 「お父さんはね、ほらこれ」  そこには、隣の佐藤くんが写っていた。  亡くなった父はがっしりして陽に灼けて逞しいイメージだったが、写真の若い頃の父は色白でひょろっとしている。 「なんか、お父さんじゃないみたい」  僕が言うと、「昔はね、泳げもしなかったのよ。こっちに来て逞しくなって、最後は川で生徒を助けてね……」と母はしんみりと答えた。 (つまりあれって……?) 「そうだ。お父さんが気に入ってた本があるのよ。いつかあなたが進路を考える時に読ませたいって言ってたから、取っておいたの」    確か本棚にあったはずと、母は探すが見つからない。 「おかしいわねえ。確かにここにあったのに」  母は何度もないないと言って探していた。  僕は翌朝、急な用事ができたから一旦戻ってまたすぐ帰ってくると母や祖父母に告げて東京に戻った。
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