引っ越し屋の話

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引っ越し屋の話

ええ、まあ、そりゃあね。 長いこと引っ越し屋をやってれば、いろんなことがございます。 不慣れな新人が荷物抱えたまま、新居の階段転がり落ちて壁に穴開けたこともありますし、親御さんがバタバタしてて前の家にお子さんを置いてきちゃったりと、それはもう様々です。 ――え、何でございますか? いちばん変わった体験は何かって? そうですねえ、いちばんと言われましても本当にいろいろですが、強いて言うならあの件でしょうか。 いえね、別に何の変哲もない、普通のお引越しだったんですよ。 まだお子さんのいない、三十前後のお若いご夫婦でね。新婚さんなのか、ずいぶんイチャ……いえ、仲良さげでねえ。こっちも声掛けるのが憚られるぐらいでした。なんですね、若いっていうのはその、堂々としたもんですね。 それはともかく、お家の方もまだ綺麗なマンションでした。それなのにお荷物は大した量もなくてね。何しろ家具から家電から、全部そのまま置いていかれるそうでして。 「どうせ新しい土地で新しい生活を始めるんだから、せっかくなら全部新調しようと思ってね」 というのが、ご主人のおっしゃる話でした。 もちろんそれはお客さんの自由なんですが、まあここだけの話、ずいぶんもったいないことをするもんだな、と思ったものです。まだお若いのに、相当稼いでいらっしゃるのかとつい勘繰っちまいますが、それは余計なお世話ってやつですね。
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