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「駅まで送ります」
「すぐそこだから大丈夫です」
「この辺は街灯が少ないから、女の人1人だと危ないです」
陸にも似たようなことを言われたのを覚えている。
『もう暗いですから。女の人1人だと危ないです』
「本当に、大丈夫です」
「行きましょうか」
この人、人の話を聞いてない?
結局そのまま並んで駅に向かった。
「中村さん、何かありましたか?」
「え?」
「何か、考え込んでいる様子だったから」
「……聞いたんですけど、答えてくれませんでした」
「心配ですね」
「はい」
「倉田さんは救急に6年って、吉崎さんの次に長いですよね」
「気がついたらそんなに経ってました」
「異動は考えなかったんですか?」
NYの大学院に進み看護分野の修士課程を修了したくて、費用をずっと貯めていた。
目標額まで達成した時に、病院を辞めるつもりでいたら、そのタイミングで吉崎さんが乳癌の手術で離脱した。
仕事が休めなくて、ずっと手術を後伸ばしにしていたらしい。
わたし以外の看護師はみんな救急に来て1年にも満たなかったから、そんな時に辞めたいなんて言えなくなった。
その後、責任感の強い吉崎さんはすぐに復帰したけれど、定期的な抗がん剤の服用で体調は本調子ではない日々が続き、今辞めることなんてできないと思った。
「もう少し救急にいるつもりです」
「同じですね。僕もしばらくはこの病院にいるつもりです」
吉崎さんは、木山先生のことを、あかり総合病院の跡取りと言っていた。
だから、いずれは辞めるつもりでいるという意味にとれた。
「倉田さんは、医者とプロ野球選手と、どちらに魅力を感じますか?」
「え?」
質問しておきながら、答えは求めていないようだった。
「また、ご飯に誘います」
黙っていると、木山先生は言葉を続けた。
「みんなで行きましょう」
「あ、はい」
わたしの返事を聞いて、木山先生が笑った。
「何か、おかしなことを言いましたか?」
「いいえ。面白かっただけです」
よくわからない人……
「さっきの質問、また今度返事を聞かせてください。じゃあ、おやすみなさい」
木山先生の後姿をしばらく見ていた。
でも、思い立ってすぐに追いかけた。
「木山先生」
「何ですか?」
「今、お返事します。さっきの質問の答え。野球選手です」
「そうですか」
「おやすみなさい」
「また」
木山先生はさっきと同じように、微笑んだだけだった。
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