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友江がチョイスしたのはタイ料理。
店内に入った瞬間から鼻を刺激する独特の香辛料や調味料の香りはそれほどでもなかった胃袋にも空腹を促す。
「何食べる?大皿頼んでシェアでいいよね?」
そしてこう言う時にてきぱきと指示してくれる幹事役の様な人間も非常に有難い。
「ドリンクも先に頼む?ほら、心菜ちゃん達も」
「ありがとう」
「友江くん、やさしぃー」
心菜も友人二人を引き攣れての食事会。
嬉しそうに友江からメニューを渡され、他の女友達も照れ臭そうに頬を緩ませる姿に百路はこっそりと安堵の息を吐いた。
実を言ってしまえば、まだ心菜に慣れていない。
彼氏彼女の関係性とは言え、慣れとはそう簡単に付いてくるものでは無いのではないだろうか。
だって女と男だ。男友達とは違う、そんな簡単に相容れれるモノでは無い。
しかもまだ一か月。その上ティッシュペーパーより薄い内容の付き合い。
実際今までも彼女を作ったりもしてきたが、どうやって日々を過ごそうかと考えるだけで、あっと言う間に時は過ぎ、結局最後は『面白く無い』『つまんない』『もういい』と言われるのが台本通りのお約束みたいになっているのも引け目を感じている部分かもしれない。
(………いや、違う、か)
普通に、こちらがドキドキしないだけだ。
もしかして恋が始まる時期と言うのには個人差があって自分はまだ始まっていないのでは。
だからこそ心菜に対してもまだ『そう言う』感情が生まれないのだろうか。
(告白は素直に嬉しかったけどなぁ…)
そりゃ、だって、誰だって告白されたら嬉しいし、有り難いし?
我ながら言い訳がましい事を口内で噛み潰しながら、ちらっと心菜を見やる。
「まじで心菜ちゃんって肌きれーだよなぁ」
「そんな事無いよ、友江くんってば調子良いなぁ」
「これでも心菜って、たまに百均の化粧水とか使ってるらしいよ、びっくりだよね」
「一人暮らしは節約も大事なの、でも余程の金欠の時しかないからね、そんなの」
ふふっと友人や友江と笑い合う己が彼女は文句無しに可愛らしい女性だと思う。
でも正直、強いて言うならばこー君の時のように、一緒に居たいなぁ、だとか、遊んでいたいだとか、結婚がショックだ、くらいの気持ちになれれば、
…
………
ーーーーーーあれ?
(もしかしてだけど、俺ってゲイ、だったりする?)
思わずじぃっと見詰める先は、
「何、どうした?急に見つめられちゃうと俺恥ずかしいじゃーん」
「無いな、違うわ」
「え?何、なんか知らん間に否定されてない?」
こんなにイケメンと言われる友江に少しでもときめくかと、いや、最悪ときめいてしまったらなんて思ってしまったがどう考えても無理だ、良かった。
「え?今明らかにホッとした?何、なんか傷付いたんだけど」
隣で肩を揺らす友江が勝手に傷ついたと訴えてくるが、泣かせた女の涙で温泉が作れそうなお前よりもマシだと真顔で言える。
「ふふ」
「友江くんってマジウケるー」
「東郷くんに相手されてないじゃーん」
そんな百路と友江のやり取りを楽しそうに笑う心菜とその友人を前にまた飲み込んだ溜め息は一体何処へと戻っていくのだろう。
「お待たせしましたぁ」
運ばれてきた料理のスパイシーな香りに包まれた瞬間、
「東郷くん、取り分けてあげるね」
「あ、ありがと」
百路の取り分け用の皿に手を伸ばす心菜に返した笑顔は引き攣っていなかっただろうか。
「友江くんも良かったら」
「わー、助かる。ありがとー!」
もしかしたら、急に落ちるかもしれない恋に期待を馳せるばかりだ。
腹も膨れ、これからカラオケでも行くぅ?と気分も上がった友江が心菜の友人たちを誘う後ろ姿を見てまた心菜が笑う。
「友江くんって元気」
くすくすと眼を細める姿を横目に、百路も確かにと軽く笑って見せた。
「東郷くんと性格全然違う感じだけど、仲良いの不思議だね」
「そうー…かもね」
悪い奴では無い、とは思う。
話してみても楽しいのは確かで、あまり詮索してこないのも心地良い男ではある。
癪だけど。
「あの…矢部、さ、」
「なぁに?」
「今度、どっか行く?」
「え?」
少々暗がりでも心菜が大きく目を見開いたのが分かる。
「俺ちょっとしばらく忙しいかもだけど、その落ち着いたらって言うか」
「忙しい、の?大丈夫?」
心配してくれる程の事でも無い。
ただの家探しだ。
「うん。大丈夫。えーっと…来月、とか。あ、夏休みくらい、とか?」
「うん、私は大丈夫だよ」
「どっか行きたいとこある?」
「そうだなぁ、どうしよう、迷っちゃう」
細い肩を竦め迷う風に唇に指を当てる心菜だが、
「決めておくね、また教える」
色んな意味で百点なのではと思える返答と仕草に、自分の性格の捻じ曲がり具合を感じる百路の自己嫌悪が再び大きく膨らんだ。
*
さて、どこから回ろうか。
スマホを片手に取り敢えずチェックしていた不動産を尋ねるべく、勿論鼻息は荒い。
「よし、最初はー…家賃が一番安いとこだよなー…」
風呂トイレが付いてたら有り難いが、この際共同トイレでも可にしておこう。
「あー、だったらシェアハウスとかでもいいんじゃね?」
ふんふんと一人頷き、誰に聞かせる訳でも無く目的地へと進んでいく百路の足に迷いは無い。
折角の土曜日休み。
無駄な時間になんてしたくはないのだ。
一軒目の不動産屋のガラス戸に手を掛けた百路は大きく息を吐いた。
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