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「このオンボロ部室ともお別れね」
一階角部屋にあるこのハンドボール部の部室は日当たりも決して良くなく、冬には隙間風がどこからか入ってくる。部室棟は築年が何年かはわからないけど、二階の部室に上がる階段は錆びているし、部室数が足りないなどの問題も発生していたので、今より場所が取れる場所に新築で建てることになった。
その部室が完成し、早速新部室への引っ越しとなったわけだけど、なにせ古い古い部室。正直見て見ぬフリして長年閉ざされてきた箱などもあったりする。そうしたものを本当に処分するのかどうか。名ばかりの部長だけれど私が確認することにした。
昔は強かったらしい、うちのハンドボール部。隅の箱からは、もう何十年前の賞状が片付けられていた。飾る場所がなかったのだろう。さらに昔の赤いユニフォームなども出てくる。
「こんなところにあったんだ」
さて、これはどうしようか。正直使えるものではない。
困ったなぁ……。私は物が捨てられないタイプの人間なので、こういうのはつい残してしまいたくなる。ユニフォームを広げ、うーん、と悩んでいると、私の作業を見守っていた早苗さんが首を横に振る。
「え? 処分しろって?」
ふんわりと優しく微笑む早苗さんに、私も決意してユニフォームを不用品の箱に入れていく。私達よりずっと前、ここで青春を送った先輩たちを思いながら。
優柔不断な私は、つい何でも取っておきたくなるけれど、そのたびに早苗さんから窘められ、一人で片付けるより遥かにスムーズに仕事が進んでいった。
「よし、こんなところかな」
開かずの箱になっていたものはすべて開かれ、本当に必要と思うものだけを新部室へと持っていくことにした。その箱をどかした場所にある壁には、過去の先輩たちの寄せ書きがあった。
──さいっこうに楽しかった!
──一生、忘れない。
コンクリートの壁に書かれた寄せ書きに、そっと触れる。
悔しくて泣いた日も、嬉しくて笑った日も。たくさんの人がこの部室で過ごしてきたんだ。
その部室とお別れして、これからは新たな一ページを新しい部室とともに過ごすことになる。
「さ、私達も行こうか」
早苗さんに声をかけると、ゆっくりと首を横に振る。
彼女は自身が纏う赤いユニフォームの裾を引っ張り、切なげに微笑んだ。
入部した時からずっと部屋の隅で見守ってくれていた早苗さん。彼女に気づく人間は長年いなかったらしいけど、ずっと見守ってくれていたんだ。
彼女は部室から出た事がない。出られないのかもしれない。だけど、私は彼女にずっと助けられてきたんだ。このままお別れになんてなりたくない。
「ねぇ、早苗さん。私、早苗さんにいっぱい助けられたんだ。その早苗さんがこのままこの部室と一緒に消えるなんて嫌だよ」
さっきの片づけで見つけたものを、私は早苗さんに見せる。
「これ、早苗さんでしょ?」
優勝トロフィーを持って中央で笑っている早苗さんとたくさんの仲間。色褪せた写真は、賞状と一緒に片付けられていた。その写真の裏を早苗さんへと見せる。
──早苗、大好きだよ。
──早苗と一緒に過ごした日々を忘れない。
──また一緒に笑いたい。
余白がないくらい、小さな文字でたくさんのメッセージが書かれている。
卒業直前、交通事故で亡くなったらしい早苗さん。あの壁の寄せ書きも、きっとこの時代の先輩たちが書いたものだろう。
「ねえ、一緒に新しい部室にいかないなら、そろそろ本来の場所に行ってもいいんじゃない?」
写真の裏に書かれたメッセージを見つめ、止まらない涙が写真に零れ落ちると、フワッと優しく光の粒となり、早苗さんの足元から徐々に輝きだした。
よかった。早苗さんを大切に思う人たちの気持ちが、彼女を旅立たせてくれるんだ。
「今まで見守ってくれてありがとう。私、早苗さんがいてくれてよかった」
私の最後の言葉に、早苗さんは優しい微笑みを向けてくれた。
たくさんの光に包まれて消えていった早苗さんが今までいた場所に、私はスマホを向けた。
思い出と感謝を忘れないように。
誰もいないがらんどうの部室に、パシャリと小さな音が響いた。
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