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男が現れなくなって三日が過ぎた。
ソファーに腰掛けながら、久しぶりに休日を満喫して図書館で借りてきた本を読んでいる。
区切りのいい所まで読んだところで、ふと数日前のことが脳裏を掠めた。
——少し、言い過ぎたかな。
柄にもなく強い口調でだいぶキツイ言い方をしてしまった。
もう現れないだろう。そう思っていたのだが、その思いはあっさりと裏切られた。
「元気にやってたか!?」
突然壁をすり抜けて、元気に手を上げた男にはちっとも悪びれた様子はなかった。
「現れんなって言わなかったか俺?」
「ボクが聞くとでも思っているのか?」
逆に不思議そうな表情で問われ、返答に詰まる。
飄々とした態度にもイライラし過ぎて頭が痛くなってきた。
「ほら〜よく考えてみてくれ? あの日誰に会ったのかもう一度ゆっくりと思い返して欲しい」
「人には思い出したくない記憶の一つや二つあると思わんのか? 俺は過去じゃなくて今を生きてる。それに何で十三年前も経ってるのに今更何かしようとしてんだよ。もう証拠すら出て来ないだろ。一度事故として処理された事件だ。覆すのも難しいんじゃないのか? 意味わかんねえよ」
「しょうがないだろう。ボクの記憶が戻ったのはつい最近なんだから」
「どういう意味だ……?」
正面から視線を合わせて問いかけると、男はらしくなく少し顔を俯けた。
元気いっぱいだった雰囲気はなりを潜めている。
「この間は悪かった。無神経すぎた。今からちょっと……ボクに付き合ってくれないか?」
男の後についてたどり着いたのは、家から三駅離れた所にある総合病院だった。
面会用の紙に男に教えてもらった『阿比留』という名前を書いて、管理している警備員に手渡す。
場所を聞いてエレベーターに乗り込んだ。
少し奥まった場所にあった病室は個室で、ベッドの上に少年が横たわっていた。
視界に入れるなり固唾を飲み込んだ。
自力で呼吸するのも叶わず、色々な機械や点滴、管が少年の体に突き刺さっている。規則正しい音を立てて心電図が動いていた。
見た目はひどく痩せた十歳にも満たないくらいの少年にしか見えない。
「彼はソナタ。ボクたちは双子の兄弟で、ソナタはたった一人の弟だ」
「え、双子?」
あまりにも衝撃的すぎて、呼吸を止めた。男は要と大差ない年齢だ。なのに少年……。一回りは歳の離れた兄弟にしか見えない。
目を覚さないにしても体は成長する筈だ。なのに成長しないというのは理解が出来なかった。
「十三年以上このまま目を覚さない。君の家が火事になった日、ソナタは近くの川で発見されたんだ。その時には呼吸が止まっていた。息は吹き返したものの、時間がかかり過ぎたのもあって脳に障害が出た。もう自発的に動けない。うちは裕福なのもあって、両親が設立したこの病院でずっとこうして繋いで生かされている。ソナタはもうここには居ないのに……。それはボクにしか分からないけど、目を覚ます事はないし肉体も成長しない。でもとうとうこの機械らが外されることになっていてな。一週間後、事実上の死が訪れる。もし証拠がなくて法で罰せられなくとも、せめて犯人だけは見つけたかった」
何も言えなかった。
ただ黙って男の話を聞いている事しか出来ない。その前に何て声を掛けていいのかすら分からなかった。
あんなにチャラけた態度をとっていた男が、慈しむように少年の頬を撫でて淡々と説明している。
少年とあの火事の件がどう繋がっているのか分からなくて、眉間に力を込めて目を細めた。
あまりにも痛々しい姿を見せられると、今まで碌に話を聞いてこなかった事に罪悪感が生じて心臓が痛くなった。
男はゆっくりと床に座り込み、深く頭を下げて土下座する。
「お願いだ。少しの間だけでいい。仕事の合間に時間がある時だけでもボクに協力して欲しい。頼む」
「っ!」
男も必死だったのだろう。土下座をさせないように男の体を床に立たせた。
「らしくない事するな……」
一方的に接触を遮断していた自分自身に腹が立った。頑なに拒絶するのではなく、少しでも話を聞いてやれば良かった。
今になって後悔している。
「何も事情を聞かずに悪かった。俺に何が出来るか分からないけど、当時のことを思い出してみる。そこから一緒に動こう」
苦笑混じりに告げると、男が嬉しそうに頷いた。
二人で病院を出て、帰りの電車の中で、窓の外の風景を眺めながら昔の記憶を辿っていく。
が、これといって怪しい人物と会話した覚えも、見かけた覚えもなかった。
——もしかして火事を見ていた野次馬の中にいた?
近所に住む人ばかりがいた記憶しかない。実際、家の中に行こうとして引き止められたからだ。
これといった怪しい人を見つけられずにいた。
「お前はどうなんだ? 心当たりはないのか?」
部屋に帰ってきてからも男は沈み込んでいるのか、いつもの元気がない。
問いかけたけれど、ゆるく左右に首を振られた。
「ボクはソナタの思念が少し読めただけだ。思念にも残したくなかったのか、恐怖で記憶障害が出ていたのかは分からないけど、犯人の顔の部分には全てマッキーペンで落書きしたように黒く塗りつぶされていて、肝心な所が見えない。大人の男と、燃え盛る家、川、消えていこうとしているソナタの意識。ソナタと一緒にいた男の服が見えただけだった。なのに何故か参考書を広げている君の横顔がハッキリと記憶に出てくる。それらから推測して、君は犯人に会っているか知っていると考えた。火事のあった家は君の家だったしな」
テーブルに両肘を乗せて、要は俯いたまま逡巡する。
「火事の時にいた霊はお前か」
「そうだ」
——ちょっと待て。霊て歳とるのか?
初めて出会った時確か自分と同じ年齢だった。そしてそれは今も同じだ。
男自身が規格外の霊なのもあって、まあいいかと頭を切り替える。
——時間がない。
そんな事よりも考えなければいけない事がある。
当時参考書を手にしていたとなると、学校か通っていた塾だ。
学校を行き来する時は、ランドセルの中に全て詰め込むようにしていたから可能性は低い。なら……。
「塾の中かその帰りかもしれないな。俺は家が火事になった日は塾に行っていた。迎えに来ない母に焦れて歩いて帰ったんだ。行きも帰りも歩きながら参考書を手に持っていた。その間、気になる人物なんていなかったぞ。双子というからにはお前とそっくりなんだろ? 塾で見かけた事もないな」
腹立たしいが、この男は目立つ。この容姿だったら記憶に残りそうなものの、全くと言っていいくらいには覚えがない。
燃え盛る家の中に消えて行った姿しか覚えていない。
長いため息をついて両手を首に当てて俯いた。
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