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「昨日、熊とやり合って死んだ子が、野捨てになります。せめて、最期に経のひとつも上げたいと思います」
「いってらっしゃい」
蓮生は出かけて行った。
明静はひざに手をやり、縁側に腰掛ける。
荷車が出て行く。ムシロがかけられた遺体が載っていた。この時代、棺桶は普及していない。一般人なら、裸に剥かれて野に掘った穴へ捨てられる。
柱に背をもたれ、目を閉じた。
八十九首目
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
忍ぶことの 弱りもぞする
式子内親王
「わしも・・・あと何年あるやら」
長く生きて、先立つ多くを見送ってきた。その度、彼らと結んだ縁の緒が切れるのを感じた。
「この手に、あと何本の緒が残っているか・・・」
細くなった腕と一緒にながめた。
九十首目
見せばなや 雄島のあまの 袖だにも
ぬれにぞぬれし 色はかはらず
殷富門院大輔
「人の死を聞いても、見ても・・・めったに涙が出なくなった」
明静は自分の着物の袖を見る。
「若い頃なら、よく袖が湿っていたのに」
和歌において、着物の袖を濡らすのは涙。でも、現実には、ひたいの汗や鼻水や口の涎でも濡れる。強いくしゃみをしたら、鼻水と一緒に涙や唾が出るのは・・・よくあるけれど。
洗わずにいると、涙が染みた衣は色が変わってしまう。涙の中の塩分のせいだ。
室内に入り、ごろり手足を伸ばして寝た。
「そう言えば・・・さっきの荷車には、ムシロがかけられていた」
仲間の遺体にかける最低限の礼儀、と言えるだろう。行き倒れや罪人の死体なら、裸のまま山積みで運ばれる。
野捨てされ、彼は・・・今夜は一人で寝ることになる。
九十一首目
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに
衣かたしき ひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣(藤原良経)
「ぬしさま・・・主さまっ!」
ウメに肩を揺すられ、明静は目を覚ました。少し眠っていたようだ。
「さっきから、ひくりとも動かなくて・・・心配しましたよ」
「そ、そうだったかな。いや、寝てる間のことは分からなくて」
わはは、笑って返した。
現代なら、睡眠時無呼吸症候群とも言う。神経や心臓が弱っている時に出やすい。体の中が酸欠状態になり、色々な病気の元になりえる。
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