第十三ノ節

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第十三ノ節

 風が無いので、明るい縁側に色紙を出した。硯に墨をため、筆を手にする。  左右からウメとクメが見ている。  胸を張り、筆を紙に落とした。 九十二首目  わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の  人こそ知らね かわく間もなし        二条院讃岐 「波間に見え隠れする石のように、袖が乾く間が無い・・・そんな意の歌だよ。これを詠んだ人は、ずいぶん宮中で人気となったそうだ」  へえ、ウメとクメは肯く。 「洗い物をしてると、いつも袖は濡れてるものね」 「わたしは働き者、と自慢してる」  う・・・明静は応えにつまる。和歌においては、袖の濡れは涙を意味するのが一般的。それは男の読みかたで、女には別の読みかたがあるようだ。 九十三首目  世の中は 常にもがもが 渚こぐ  あまの小舟の 綱手かなしも        鎌倉右大臣(源実朝) 「これは・・・数少ない鎌倉の文友の歌だ。渚で小舟が漁をするおだやかな海が、いつまでも続いてほしい・・・そんな望みをかけた歌だよ」  鎌倉の源氏将軍は三代にわたり、不運な死をとげている。父や兄の運命を嘆く歌、とも読める。その不運は自身にも降りかかるのだが。 「もが~もが~、船で櫓をこぐと、そんな音が聞こえるかも」 「いえ、もがっもがっ、そんなかんじの音よ」  ウメとクメが櫓の音で言い合う。  船は錨を落としてないと、すぐ潮に流される。定位置を確保するには、常に櫓をこぎ続ける。 「小舟は常にもがもが・・・いや、も~がも~が、と音がするかも」  つい、明静も櫓の音を考えてしまった。  考えるうちに、腹の底から笑いがこみ上げた。 九十四首目  み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて  ふるさと寒く 衣打つなり        参議雅経(藤原雅経) 「山に吹く風の音と、衣を打つ音を重ねた歌だ」  明静の説明に、ウメが肯く。 「そうね、洗濯した衣はパンと伸ばしてから、干し竿にかけるの。でないと、シワだらけになってしまう。乾いたらトンと叩いて、ささっとほぐす音があるわね」 「それから、手でパンパンとたたむの」  ウメとクメが両手で洗濯物をたたむ仕草。  音が出るあたり、洗濯は力仕事のよう。濡れた布が重いのは知っていたのだが。  現代では、洗剤に柔軟剤が入っていることが多く、洗濯物をたたいたり伸ばしたりするのは、無くなりかけた儀式である。無論、柔軟剤の無い天然石けんを好む人もいるが。  女たちは生活の仕草を音で表してくれる。明静は好ましく思った。
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