第十三ノ節

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 蓮生が帰って来た。  明静のとなりに座れば、女たちは席をゆずって下がる。 「最期に経をあげられて良かった。わたしらのような下っ端出家は、彼と同じ野捨てになりましょう」 「でしょうね」  六十代と七十代、出家爺たちは笑い合う。 九十五首目  おほけなく うき世の民に おほふかな  わが立つ杣に 黒染めの袖        前大僧正慈円 「比叡山の僧正様の歌です。気がつけば、僧正様より長生きしてしまって、ムダに時を過ごしてしまった!」  明静は苦笑い。  慈円は10年前に逝った、満年齢で70歳であった。当時としては、十分に長生きした方だ。 「何か役割が残っているので生きている・・・そう、思いましょう。その役割に気づけたら、極楽往生です」 「気づけなければ、冥界を彷徨う亡者となって・・・ですか」  真夏のはずが、背筋に冷たいものが流れた。  ウメが白湯を持ってきてくれた。のどに流し込めば、額に汗が出た。 九十六首目  花さそふ 嵐の庭の 雪ならで  ふりゆくものは わが身なりけり        入道前太政大臣(藤原公経) 「嵐の後の庭は、雪が降ったかのように、白い花びらが敷き詰められて・・・そんな歌です」  植物が花弁を落とすのは、花の役割が終わったから。実と種を育てる段階に入ったからだ。 「なぜか、実をつける段階へ進むのを嫌がり、いつまでも花でいたいと願う・・・そんな人が多い」 「自分は地に落ちた花びらか、茎に残った実のほうか、歌いながら迷っています」  むむ、ジジイたちはうなる。  花瓶に生けられた花は、花弁の落ちる時が命の終わりだ。が、野にある花には根がある。花弁を落として、次代の種を育て始める。  明静は自分の手を見た。  藤原定家は都の公家の社会に生けられたあだ花・・・花弁が落ちれば、命が尽きる。 九十七首目  来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに  焼くや藻塩の 身もこがれつつ        権中納言定家(藤原定家) 「おおっ、ご自身の歌ですね」 「これだけ撰んだので、一首くらい混じっていても」  へへっ、明静は頭をかいた。 「夕凪の歌です。風が無いので、焼いた煙が真っ直ぐ上がります。でも、それでは船が動かないので、風よ吹け、と煙を見ながら願っております」 「風よ吹け・・・嵐は困ります」 「と、当然です」  蓮生の指摘に、明静は頷く。  西村によれば、高麗の方では大風が吹き荒れているらしい。海を渡り、こちらまで押し寄せないように、と祈るばかりだ。
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