序ノ節

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 雨音が小さくなり、外が明るくなってきた。雨雲は通り過ぎたようだ。  明るくなると、襖の汚れ破れ・・・すり切れが目についた。 「気になりますか?」 「諸行無常とは言っても、人が住んでいないかのようです」 「良い絵師がいるなら、何か襖絵でも、と思いますが」 「絵は・・・頼んで、何年かかるやら。それよりは・・・」  明静は思い出す。  六年前、まだ出家する前のこと、寛喜元年(西暦1229年)に、藤原定家の名で、宇都宮大明神(二荒山神社)へ神宮寺の襖を飾る障子歌を色紙に書いて贈っていた。 「障子歌ですか・・・」 「あの鎌倉武士たちの歌がひどいのは、古今の名作に触れていないから、と思います。ここの襖を歌で飾り、名作を知れば、自ずと歌の内容も変わりましょう」  明静は両手に拳を作って説いた。  が、ずきっ、胃に痛みが走った。 「あっ、たた・・・たたた・・・」  明静は腹を抱え、身を屈めてしまう。 「どうしました?」 「三月の・・・勅撰和歌集の事を思い出しまして・・・胃が、ががっ」  痛みのあまり、体を横にして転がった。 「歌の良し悪しではなく・・・詠み人の出自や、官位や・・・論功が優先して・・・我が人生の不覚でした・・・晩節を汚す撰びとは・・・あれのことですぅ」  痛みをこらえながら、涙ぐんで訴える。 「撰びかたがどうあれ、歌に罪は無い。罪人は滅びても、歌は語り継がれるはずが・・・」  ふう、明静は息をついた。 「勅撰和歌集を三月に・・・ですか。じゃあ、またそろそろ」  蓮生が言いかけると、また明静は腹を抱えて身をくの字にする。 「そう言えば、九条摂政様が亡くなられたのも三月で・・・太閤様が、また摂政になられて、色々ありましたね」  蓮生の思い出しに、明静は肯く。  死んだのは九条教実のこと、今年で二十四歳。摂政になって、まだ四年目だった。やむなく、父親の九条道家は院政を止め、摂政に返り咲いた。  ・・・ボツ! ・・・これはダメ!  若造の声が耳によみがえった。  眉の薄い二十歳そこそこは、摂政になったのが嬉しかったのだろう。やたら権勢を振りかざした。若き日の藤原定家であれば、ぶん殴っていたはず。実際、二十代の頃、暴力沙汰を起こし、除籍処分を受けた。歳を経て、少しは人間が円くなっていた。  思い出せば、最期に会った時、摂政は御簾の奥から顔を出さなかった。前夜の深酒か、と捨て置いてきたが・・・すでに具合が悪かったのかもしれない。 「今年は・・・本当に色々あって、元号まで変わって。そんなゴタゴタが続いて、和歌集のやり直しが来ないのかなあ・・・」  ふうふう、明静は息を整え、身を起こした。 「こんな庵の襖に張る歌なら、あれこれと忖度する必用はありません。明静様の思うように撰んで下さい」 「わたしが思うように撰んで・・・それで良いのですね?」  明静の拳が震える。  目が燃えているかのように輝いた。
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