真実

1/3
258人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ

真実

 婚儀まであと三日となった日の午後。  葉奈は仕上がった打掛を取りに出かけ、紫苑は用事があると昼過ぎに出ていき、屋敷には世津と芹香しかいなかった。  二人はいつものように縁側に腰かけて、春の暖かな陽気の中雑談に花を咲かせていた。  そして、世津が夕飯の支度をしに台所に立った後もしばらくそこに座って美しい中庭を眺めていると、草の踏まれる音がして来客を知る。  いつもなら、玄関で声がかかり葉奈か世津が気付いて対応するのだが、世津は台所にいるから聞こえなかったのだろう。  おずおずとこちらを伺う人影に、芹香は「こんにちは」と声をかけた。 「は、華狐さま」  これまで見たことのない女性だった。  狐の耳をつけているから一族のものなんだろう。芹香は笑顔で彼女を出迎える。 「あの、こ、これをお読みくださいっ」  早足で近づいてきたと思えば、折りたたまれた簡素な紙を突き付けられるようにして渡された。芹香は、それを受け取り、中を見て息を呑んだ。 「こ、この手紙は誰から⁉」  パッと顔を上げて聞いた芹香だったが、そこには誰もいなかった。  さっきの女性は、一体。  芹香はもう一度手紙に視線を落とし、一言一句違えぬように見た。 『親の死の真相が知りたければ、一人で屋敷に来い』  書かれた言葉に、芹香の胸は異様なまでに早鐘を鳴らし始める。  そして、気付いた時にはその手紙を握りしめ、駆けだしていた。  芹香は無我夢中で走り、祠がある所までやってきた。  華狐は、鳥居をくぐれば自由にこちらとあちらを行き来できると紫苑に教えられていた。  その時には、用もなければいい思い出もない村に自分が行くことはないと思っていたから聞き流していたけれど、まさかこの鳥居をくぐる日が訪れるとは思わなかった。  両親は、不慮の事故で死んだ。  村の外で、妖怪の群れに出くわしてしまい、命を落とした。霊峰・九宝嶽から流れてくる霊気により守られている村の近くには、妖怪が現れることはまずなかった。だから、運が悪かった(・・・・・・)と不慮の事故とされていた。  だが、芹香はあれが事故だとはとても思えなかった。  ──もし、それが故意だとしたら……?  例えそうだとしても、真相を知ったとしても、両親は帰ってこない。衝動的に駆けだしてきてしまった芹香だったが、鳥居を前にして無駄なことだ、と理性が働く。  それでもやはり、知りたいと強く願う自分に背中を押されて芹香は鳥居をくぐり村へ向かうために山を下る。  一年ぶりの鳥居の外の九宝嶽は、相変わらず岩肌しかない殺風景だった。本来の九宝嶽は霊狐たちが住まう緑豊かな霊峰で、その自然豊かな霊狐たちの聖域を守るために結界を張り、周りからは緑もなにもない岩肌の山に見せているのだと言っていた。  慣れない山道を駆け足で下りていくこと数刻。息も切れて汗だくの状態で芹香は村に入る。すると、芹香の姿を見た村人たちが、みな一様に目を見開き「芹香が帰ってきた……!」と驚いた。  どういうことだ、と話しかける者もいたが芹香はかまわず走り、叔父夫婦たちの住む自身の屋敷にたどり着くと門を叩いた。まるで待っていたかのように、間を置かずに門が開いて中から叔父の亮二(りょうじ)が姿を現した。 「叔父さま、この手紙は一体……」 「……本当に生きていたとは」 「い、痛いっ」  目の前の芹香を見て亮二は瞠目するも、すぐに険しい顔になり芹香の腕を引っ張って門の中へと引き入れた。ほぼ引きずられるようにして、連れていかれたのは客間。 「叔父さま……こ、これは……」  部屋に入った瞬間に、床の間の壁がおかしいことに気付いた。文字の書かれた札が四方に貼られたそこは、ぐにゃりと空間が歪んでいる。なにかとてつもなくまがまがしい空気を感じて全身に鳥肌が立った。 「ついてこい」 「い、いやっ、やめてください!」  亮二は躊躇うことなく、その歪んだ空間めがけて突き進んだ。腕を掴まれたまま、芹香も否応なく連れていかれる。そこを潜った瞬間視界が歪み平衡感覚を失う。あまりの恐ろしさと気持ち悪さに目を閉じた。  時間にすれば、ほんの数秒。身体がずんと重みを取り戻して目を開けると、目の前には全く違う景色が広がっていた。とても広い洞窟のような場所で、頭上の一角に開いた大きな穴から日の光が差し込んでいるため中は薄暗い。慣れてきた目に写った光景に、芹香は息を呑んだ。 「ひっ」  芹香は、洞窟の中で見たこともない妖怪に取り囲まれていた。顔は猿のように真っ赤で、虎のような手足だが尻尾はまるで蛇という不気味な恰好の妖怪たちが、芹香を見て舌なめずりする。 「いい匂いがする!」 「こりゃ美味そうだなあ」  聞こえてきた言葉は聞き取れたが、とても人間の声には思えない音をしていた。妖怪たちは、明らかに芹香を獲物として認識していて、あまりの恐ろしさにその場にへたり込んだ。 「──やっと来たか、華狐」  低く、酷くしゃがれた声が洞窟に響く。  妖怪の中から、着物を着た一人の男が現れた。その男から、さっき床の間で感じたのと同じまがまがしさを感じて身体がすくむ。  とても、よくないもの。  芹香は直感的にそう認識した。  その男が芹香に近づいてきた時、亮二が間に入りそれを遮った。 「約束は守ってもらう」 「……手を煩わせおって。──連れてこい」  しばらくして、妖怪に連れてこられたのは、叔母の道代とその娘の加代だった。その顔は酷く憔悴し、亮二の姿を見て目に涙を浮かべた。 「あなた!」 「お父さまぁっ」 「道代、加代! もう大丈夫だ。さぁ、家に帰ろう」  そう言って二人の肩を抱いて踵を返した亮二の背中に、「まぁ待て人間」と男の声がかかる。笑いを含んだ声だが、とても低く冷ややかで亮二の足がぴたりと止まった。先ほど通ってきた歪みの前に妖怪達が立ちふさがり、亮二たちの行く手は塞がれてしまった。 「や、約束通り華狐を連れてきたのだから、もう私たちに用はないはずだ! 継ぎ人との契約を破ったらどうなるか忘れていないだろうな!」 「そんなことはわかっているさ。せっかくの縁じゃないか、最後まで見届けていくがいい」  亮二の言葉で、芹香は状況を理解した。亮二は、この妖怪たちに妻と娘を人質に取られ、華狐の芹香を連れてくるよう命じられていたのだ。どうやってあの手紙を狐に渡すよう頼んだのかまではわからないが、なんらかの伝手を使ったのだろう。あの手紙に書かれていた文字は確かに亮二のものだったから。  あの屋敷を出てもなお、この人たちは自分を道具として使うのかと芹香は愕然とした。 「くくく、見てみろ華狐の絶望した顔を。血のつながった叔父に売られた気持ちはどんなものだ?」
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!