真実

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「華狐の霊力がこれほどとは……」  膨れ上がる岩を見上げる鵺の顔は、歓喜に満ちていた。 「いいぞ、華狐。両親の敵を己の力で討て!」 「……ゆる……さない……!」 「──芹香!」  塊が亮二たちめがけ動き出したとき、芹香の名を呼ぶ声が辺りに響き、意識が引き戻された。 「っ、……え?」  自分は今、なにをしようとしていたのか、疑問が頭に浮かんだ瞬間、芹香と亮二たちの間に大量の石や岩がけたたましい音を立てて落ちてきた。 「きゃっ」 「うわぁ」  地面に落ちて弾んだ石が亮二達にぶつかる。幸いにも芹香の方が距離があり足元に転がっただけで済んだが、それを自分が作り、亮二たちにぶつけようと……殺そうとした自分の恐ろしさに、芹香はその場に(くずお)れた。  それを、鵺が近寄り腕に抱き抱え、声のした方へ睨みを効かせる。周りにいた他の鵺も一様に同じ方へと向き直り犬歯をむき出しにして威嚇を始めた。 「これはこれは! 九宝嶽の気高き霊獣、霊狐さまではございませんか」  仰々しいセリフを吐き、鵺が紫苑に(こうべ)を垂れる。その腕に腰を抱かれた芹香は、どうにか顔をもたげ、紫苑を視界に捉えた。白金の髪を後ろで結んで、いつもきちんとしている着物はところどころよれて乱れていた。  黙っていなくなった自分を探し、助けに来てくれたのだろう。  まだ呆然とする思考の中で嬉しさと申し訳なさとが混ざりあう。 「しお……ん……、ああっ!」 「芹香!」  首に刺さるような痛みが走った。鵺が芹香の首に噛みついたのだ。  どくどくと脈がうねる。血が、吸われている。そう気付き、そのおぞましさに芹香の目から涙が溢れる。 「い、いやあっ」  しかしそれも一瞬で、鵺は芹香を抱えたまま飛びのいて後退した。鵺の居た場所は、衝撃を受けたように地面がえぐれていた。紫苑が鵺に向けて攻撃したようだ。  ずきずきと痛む首に添えた手は、血で真っ赤に濡れた。  ふと、体の中にあったものがないことに芹香は気付く。力がわかず、鵺の腕の中で項垂れ、静かに涙を流しているしかできなかった。 「なんと、美味い血だ……! ほんの少し吸っただけで力が泉のようにみなぎってくる!」  鵺の高笑いが響き、紫苑の眉間に深い皺が刻まれる。 「許さん!」 「おっと、それ以上なにかするなら、華狐のこの首をへし折りますよ」  言いながら、鵺は芹香の首に腕をかける。顎に腕が食い込んで、息ができず芹香の顔が苦しさに歪んだ。 「こちらは死んでも血が吸えれば満足ですからね。──それに、この華狐が死んだところで、霊狐さまが望めば新たな華狐が生まれるのだから一人くらい譲ってくれたって構わないでしょう?」  鵺の話を聞いて、芹香は「そうなのか」と切なくも安堵した。ここに連れてこられてから、漠然と死を覚悟していた芹香は、華狐としての役目を全うできなかったことだけが心残りに感じていたからだ。紫苑を始め、葉奈や世津、一族のみんなに対して申し訳ない気持ちで一杯だった。  だけど、自分が死んでも代わりがいるのなら……。  霊狐の華狐は自分である必要がないのだから、紫苑たちが困ることはないだろう。 「鵺よ、よく見てみろ。芹香に霊力はもう残っていないぞ」  鵺が、腕の中でぐったりとする芹香を見て、「ど、どういうことだ……」と動揺した。 「先ほどの怒りによる暴走で大半の霊力を放出したのだろう。わずかな残りもお前に吸われてしまった」  やはり、さっきなにかがなくなったと感じたのは間違いではなかったのだ、と芹香は理解する。  霊力を失った自分は、もはや華狐として使い物にならないではないか。 「……鵺……私を、殺して……」  苦痛に歪んだ芹香の目から、涙が零れる。  これ以上、自分のことで紫苑たちの手を煩わせるわけにはいかないと思った。 「芹香……な、ぜ……」  驚愕に目を瞠る紫苑の顔は、薄暗がりの中では芹香には見えなかった。 「芹香は俺の華狐だ、死なせはしない!」 「だって……、霊力のない華狐なんて役に立てないから……」  紫苑はあの日、芹香に華狐として(・・・・・)そばにいてほしいと言った。ならば、その“資格”を失った自分は、紫苑の隣にはいられない。あの、ひだまりのようなあたたかな場所に帰れないのなら、自分にはもう生きていく意味もないと、芹香は絶望する。 「紫苑が新しい華狐を迎えるためにも、私がいたら困るでしょう」  もういっそのこと鵺の餌になり、両親と同じ道を辿ればいい。  そうすれば、楽になれる……。これ以上、大切なものを失わずに済む。  唯一のよりどころだった華狐としての力もなくし、帰る場所も失った芹香は、せめて最期くらい誰の迷惑にもならずに逝きたいと考えた。 「ほかの華狐など要らない! 俺は、芹香を迎えにきた」 「っ……紫苑……」  紫苑の言葉に、これ以上ないほどの喜びが胸の裡に込み上げてくるのを抑えられない。嬉しさに、芹香の目からはとめどなく涙が溢れて頬を伝った。  だめなのに。  私じゃ、もう紫苑の力になれないのに。  これ以上、優しさを与えないでほしい……。  縋ってしまいたくなる。 「──やあっ」  突如、芹香の身体が宙高く放り投げられて放物線を描いた。 「芹香!」  瞬時に反応した紫苑が、空を駆ける。  その隙に、鵺が「走れ!」と叫び、洞窟内にいた鵺たちが一目散に頭上に開いた穴を目指して岩肌を駆けのぼっていく。  芹香を投げた鵺も、人から妖怪の姿に変えて群れに紛れてしまった。 「んっ」  ぼふっと、芹香は無事に紫苑に受け止められ、苦しいほどにきつく抱きしめられた。芹香、芹香、と何度も名前を呼ぶ紫苑の声が、芹香の胸を痛いくらいに締め付ける。  それと同時に、大好きなひだまりの香りがして、張りつめていた心がほぐれていく。応えるように、芹香も紫苑の名を呼びその首ったけに腕を回してしがみついた。  もう二度と触れられないと思ったぬくもりが腕の中にある。ただそのことに安堵して、ぬくもりを噛みしめた。 「首を見せてくれ。痛むか? ほかに怪我は?」  ゆっくりと地面に降り立ち、しがみつく芹香を優しく下ろすと、噛まれた傷跡に触れる。うっ血したそこは見るからに痛々しく、首を反っただけで引きつるような痛みが走った。 「すまなかった、芹香。もっと早く助けていればこんな……」 「私は、大丈夫……。黙って村に行った私が全部悪いの……ごめんなさい。──それより鵺が」 「気にするな、洞窟の外で俺の配下たちに取り囲まれているはずだ」 「紫苑、ごめんなさい……私……華狐なのに、霊力が……」 「話は後にしよう。それより先に傷の手当だ。里に帰る」  紫苑の言葉に頷くと、体がひょいと浮いた。再び紫苑の腕に抱きかかえられたのだ。 「し、紫苑、私歩けるわ」 「飛んで帰る、行くぞ」 「──ま、待ってくれ!」  二人の背中に亮二の声が届く。振り向けば、少し離れたところに三人の姿があった。  怒涛の展開に、その存在をすっかり忘れていた芹香は息を呑む。言いようのない怒りがまた込み上げてくるのを必死で抑えた。  紫苑の声がもう少し遅かったら、芹香はこの三人を殺すところだった。自分の中に、こんなにも誰かを憎く思う醜い心があることを、知らなかった。我を失い、怒りに支配されて人の命を奪おうとした自分が怖い。 「ここがどこだか知らないんだ。私たちも連れて行ってくれ」  亮二たちの後ろに目を向けると、来た時の歪みはいつの間にかなくなっていた。鵺がいなくなったせいだろうか。この期に及んでそんな頼みをしてくる亮二たちの気が知れなかった。 「連れていく義理などない」と紫苑が冷たく言い放つ。その場の温度が一瞬で下がった。しかし亮二は立ち上がり、こちらに近寄る。 「そ、そんな! 霊狐さまというのは慈悲深い霊獣のはず!」 「妖と手を組み人を死に追いやるなどあるまじき所業。そのような者にかける慈悲など持ち合わせておらん」 「せめて娘だけでもっ! 芹香の霊力がなくなったのなら、我が娘の加代を華狐にいかがです? 娘も少しなら霊力があると鵺が言っておりましたし、芹香などより器量も、」 「黙れ! 誠に業が深い、深すぎる。そもそも、華狐は霊力の強さだけで選ばれるものではない。たとえ芹香より高い霊力を持っていたとしても、お前の娘は華狐にはなれない」  絶句する亮二に紫苑は畳みかけるように言った。 「此度の顛末、私から村の長に伝える故、沙汰を待つのだな。──まぁ、無事に村に帰れたらの話だが」  言い終える前に紫苑の体は芹香を抱えたまま浮遊する。洞窟内に響く亮二たちの悲痛な叫びから逃れたい一心で芹香は、ぎゅっと目を瞑り紫苑の胸に顔を寄せた。ひだまりの香りと紫苑のぬくもりに包まれ安堵した瞬間、とてつもない疲労感に襲われ気を失うように眠りについた。
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