六話:敵襲②

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六話:敵襲②

「クソクソクソッ、何処に行きやがった……!?」  『空間移動能力者』である『御剣剣』は黒野喫茶が推測した通り、校内全ての監視カメラの映像が一望出来る警備員の詰所で憤っていた。  彼の『空間移動』は何方かというと小さい物体の転移に適していた。  作中で『空間移動能力者』の代表は最大飛距離は81,5メートルであるが、彼は200メートルまで転移可能とし、その精度も脳天喉仏心臓を正確に貫いた事から称賛すべきものだろう。  ただし、一度に飛ばせる質量は70キロ程度、更には自身の転移には苦手意識を持ち、窮地に追い込まれなければ実行しないほど忌み嫌っていた。  ともあれ、校舎全域の空間座標を脳裏に叩き込んでいる彼に監視カメラという視覚情報を与えれば、ターゲットを抵抗すら許さず、一方的に惨殺する完全無欠の暗殺者となる。  勝利は確実だった。誤算があったとすれば完全なる初見殺しの機会を活かしきれず、殺害対象だった黒野喫茶を見失ってしまった点である。  樹木を倒壊させて炙り出そうとした地点には多くの学生が集まって騒ぎになっているが、未だに黒野喫茶の姿は現れない。  既にあの場所から抜け出していると考えて良いだろう。   (なんで死ななかった……! 狙いが外れた? いや、ちゃとんと計算通りにナイフは空間移動した。ならば、なぜ!?)  自身の爪を噛み砕く勢いで齧りながら、御剣剣は見失った黒野喫茶を必死に探す。  一瞬、一度撤退するべきでは、と弱気な考えが脳裏に過ぎり、即座に破却する。  もう後戻りは出来ない。此処に居た警備員は地中深くに空間転移して埋めてしまった。  相手は街の巨悪との繋がりがある凶悪な『超能力』――この機を逃せば、自分は一方的に始末される。殺さなければ殺されるのだ。荒くなる一方の呼吸を自覚しながら、監視カメラを忙しく眺めていく。 (畜生、最初から窓硝子を飛ばす攻撃を思いついていれば、物理的に首を弾き飛ばして仕留められたのに……!)  この時ばかりは自分の機転の悪さを呪いたくなる。その殺害手段を最初から思い出していれば、一瞬で終わって『日常』に戻れた筈だ。  何で死んでないのだ、二回目の転移で殺されてくれていたのならば、こんなにも頭を悩ませる必要は無かった。存在そのものが忌々しい。始末されてたまるかと恐怖に抗うように歯を食い縛った。  ――いつだってそうだ。自分は理不尽に狙われ、不条理に叩きのめされる。  何の罪も無い自分が何故こんな目に遭わなければならない。そんなのは間違っている。世界が間違っているのならば、力尽くでも修正しなければならない。  その直後だった。何の前触れもなく頬に強烈な衝撃を受けて壁際まで吹っ飛んだのは。 「グギャッ?!」  椅子が倒れ、機材が崩れ落ちる音が煩く鳴り響き――かつんと、自分一人しかいない部屋に死を告げる足音は確かに鳴り響いた。 (な、殴、られた……!? まさか奴の『能力』が既に此処にッ!?)  ――このままでは何も出来ずに殺される。  最速で演算し、座標に他の人間がいるかいないか考慮外で――瞬間的に御園斉覇は自身を一階上の廊下へ『空間転移』させた。  景色が歪み、自分自身の全てが歪曲したかのような感触を経て、決死の空間転移は見事成功する。  吐き気を抑えながら周囲を見回す。自身の体の一部分が床にめり込んでいるという不具合は幸運な事に無い。偶然通りがかった生徒もいない。昼休み終わりの予鈴が近い、多くの生徒は自身の教室に戻っている頃だろう。 (クソッ、顔が痛ぇ、歯が何本か折れた、頭がぐらんぐらんしやがる……! 暫く自分自身の空間転移は無理だ、早く逃げなければ――!)  体調は一気に急降下し、まともに演算出来る状況じゃない。ただでさえ不可視の理不尽な攻撃に生命を奪われかかったのだ、正常に思考出来る筈が無い。  傍目を気にせずに廊下を走り、階段を二段飛ばしで駆け上がって逃走経路を目指す。あの場所にさえ行けば、例え黒野喫茶が追いついても敵対行動を取れない筈だ。 「はぁ、はぁ、はぁっ――!」  走り、走り、誰かを背中から突き飛ばし、後ろから怒号が響き、それでも無視して走り、珍しく閉じていた扉を「何でよりによって今閉まってやがるんだ! アァ!?」などと内心毒付きながら力一杯でこじ開けて――遂に御剣剣は完全な安全地帯、自身の教室に足を踏み入れた。  ――ガラガラガラ、と背後から窓が開く音が鳴り響き、かつんと軽く着地する音が届く。  迅速に背後を振り向けば、純然たる殺意を滲ませた黒野喫茶が息切れ一つせずに立っており、更には此方に向かって歩いて来ていた。 (ひ、ひっ!? い、いや、落ち着け。アイツはもう仕掛けられない……!)  黒野喫茶は階段を経由せず、直接外から這い上がって来たのだろう。  相手としては追いついたつもりだが、追い詰められたのは自分ではなく、黒野喫茶に他ならない。  此処には何も知らない無垢な小学生しかいない。一般人を前に白昼堂々戦うのは不可能だ。  奴は衆知を前に尻込みだろうが、此方の殺害手段は空間転移だ。身体の体内に直接転移させれば、誰にも気付かれずに殺す事が出来る。  奴に背中を見せる事になるが、何も出来ないから問題無い――即座に振り返り、走りながら自身の机の中にある筆箱に手を伸ばそうとする。  人間一人殺すならその程度の小物でいい。御剣剣が勝利を確信した瞬間、伸ばした手が突如踏み潰され、声にならない悲鳴が零れる。  馬鹿みたいな力で床下に縫い付けられ、手の甲には見えない何かの靴底がはっきりと痕として映っていた。 (な……っ!? そんな馬鹿な、此処では仕掛けれない筈なのに――!?)  即座に頬を殴り飛ばされて廊下に逆戻りし――足元まで転がった御剣鶴喜まを黒野喫茶は冷然と見下し、彼は驚愕と共に見上げた。 「――超能力のヴィジョンは基本的に一般人には見えません。それなのに何で一般人の前で足踏みする必要があるでしょう? 躊躇する理由なんて欠片も無い……!」  小声でそう告げ、不可視の『ヴィジョン』の拳を容赦無く振り下ろした黒野喫茶の姿は『死神』でしかなかった。  手入れされた艷やかな黒髪も、殺意の炎を宿した金眼も、整った顔立ちも、自分と同じ白い制服も、全て擬態にしか見えない。  ――やはり、最初に仕留められなかったのが痛かった。  薄れる意識の中で、御剣剣は心底後悔するのだった。   「どうしたんだ? 大丈夫か!?」  ――『ダークマター』による全力のラッシュをぶちかまして奴の意識を断絶させた後、黒野喫茶は仰々しく白々しく叫ぶ。  急に吹っ飛んだ、としか見えていな御剣剣クラスメイトの何人かが覗き込み、惨状を目の当たりにして小さな悲鳴を上げていたりした。 「オレはコイツを保健室に連れて行くから誰か先生に伝えてくれ!」  そんな事を叫んで、有無を言わさずに肩を持って連行していく。絶対に『始末』するが、一般人の前で殺害するのは流石に忍びないだろう――。    ――幸い、保健室の扉には立て札で「職員室にいます」という有り難い状況が書き記されており、中にも人の気配は無い。    扉を無造作に開いて、肩で担いでいた御剣剣を投げ捨てて扉を閉める。  物音が背後から生じる。 (まずい、もう意識が戻った!?)  振り向きながら最速でダークマターを繰り出し、心の何処かで間に合わないと悟る。幾ら転移するまでタイムラグがあるとは言え、先手を取られては回避も防御も出来ない。  赤い鮮血が撒き散り、小さな手が血塗れに濡れる。  誰が――自分が、ではなく、御剣剣が、誰に――目の前で死んだ筈の『総理大臣』の『メイド』によって、その心臓を手刀をもって貫通させていた――。 「甘いですね、私がいなければ殺されてましたよ?」  それは変わらぬ無表情で――その事実が余計恐怖心を齎した。  こんな凄惨な方法で御剣剣の心臓を穿ち貫いたのに、平常運転なんて気が狂っている。 「さようなら」  心臓を穿ち貫いた右手で御剣剣の顔を鷲掴みにし、無防備になった首筋に彼女は全て鋭利に尖った化物のような歯を突き立て、容赦無く齧り付いた。 「……っ?! ――、――!?」  声にならぬ断末魔が響き渡り、少女は陶酔した表情で、とくとくと頸動脈を破り切って流れる血を余さず飲み干す。  程無くして心臓から地に流れ出た大量の鮮血が意思を持ったかのように流動し、一滴も残らず少女に吸収され――御剣剣は死体一つ、いや、痕跡一つ残らずにこの世から消え果てた。  血塗れだった筈の手は穢れ一つ無く、血塗れだった衣服すら今は洗濯後の如くだった。   「吸血、鬼?」 「はい、そのとおりです」  何処か的が外れた事を返されたが、警戒度は高まるばかりだ。  昼間から太陽の光を浴びて日光浴し、堂々と行動する吸血鬼は笑いながらそう言う。  ……あの『総理大臣』と同様に底が見えない。重要な手札は一枚見れたというのに、その程度では済まないだろうという恐怖感が拭い去れない。 「それにしても最期から最初まで詰まらない男ですね。アレの人生を一言で語れば『勘違い』で語り終えてしまいますし。私達相手に仕掛けて来たのも『一連の事件が貴方の仕業』だと勝手に勘違いしての暴走ですね」 「……『勘違い』で私を殺しに来たんですか?」 「ええ、『勘違い』して自滅してますね。暗部相手に凄い自爆です。――何一つ信じられない疑心暗鬼の塊、ゴミのような男ですね」    『メイド』――いや、吸血鬼の少女は心底詰まらそうに言い捨てる。  血を吸った人間の記憶まで知識として吸収出来るのか……? この恐るべき吸血鬼は――。  余りの情報量に混乱している最中、後ろの扉が急に開き――白衣を着た三十代前半の女性教師が入ってきた。  まずい、と思った矢先、吸血鬼の少女は率先して女性教師に近寄っていきやがった――!?   「御剣はいるか――と、部外者が何故此処に……?」 「――何も問題無い。部外者は何処にもいない、お前は誰も見ず、御剣剣は体調不良で早退した」 「何も、問題、ありません。誰も見ず、彼は、早退、しまし、た」  女性教師の眼を上目遣いで覗き込んだ途端にこの有様である。  傍目から見て明らかに異常な状態になった女性教師はそのまま何事も無かったかのように退出して行った。  その真紅の瞳はいつも以上に爛々と輝いており、鮮血のようだと思った第一印象は有り勝ち間違ってなかったようだ。   「『暗示』? 『魅了の魔眼』?」 「さぁて、どれでしょう? 私の事が好きになーる、好きになーる?」  はぐらかされ、吸血鬼の少女は今度は此方に覗き込み、くるくる人差し指を回して見せる。  正直、冗談の一つとして受け止めるべきだが、先程の暗示に掛かった教師を目の当たりにした直後なので笑うに笑えない。  此方が期待した反応を見せないので飽きたのか、吸血鬼の少女は一旦離れ、見た目の年齢相応にあどけない笑みを浮かべた。 「それにしても正統派の『超能力』かと思いきや、装着する事も出来たんですね。鎧みたいな感じでしょうか? 一般人どころか同じ超能力でも目視出来ないから『ダークマター』とは中々洒落てますね」  ……なるほど、今回の一件は自分のスタンド能力を調査する為に仕組まれた茶番だったという訳か。  道理で親切丁寧に現れた訳だ。今頃自分は苦虫でも噛んだような顔になっている事だろう。  正確な原理の説明は面倒だから割合するが、黒野喫茶のダークマター能力の一つは短時間限定のステルス機能であり、ダークマターのヴィジョンを装着する事で自分自身にもその効果を及ばせる。  なるべく秘匿しておきたかったが、厄介な奴に知られたものである。彼女――吸血鬼に対して超能力のヴィジョンは可視の存在である疑いが濃厚か。   「! ……そういう事ですか。貴方、随分と優しいんですね」 「ええ、私はご主人様と違って慈悲深いですから。本当は死体を隠蔽する能力も見たかったんですけど、あのままだと殺されて私の存在意義が無くなってしまいそうでしたしね」  わざわざその事を知らせてくれた事に一応感謝しておく。  片付けようと思えば彼女単身で片付いた問題であり、巻き込まれた此方としては溜まったものじゃないが、二度も助けてくれたので文句は言えないだろう。 「皮肉な話ですね、貴方の能力は物事を傍観するのならば最適の能力なのに、運命がそれを許さない。いえ、進んで厄介事に首を突っ込んでいるのは貴方自身ですかね? 発現した能力と相反する性格、まるで矛盾してます。――ご主人様の言った通り、貴方は非常に面白い人物のようですね」 「はい?」  それは『総理大臣』の邪悪な微笑みとは反対の、無邪気な微笑み。されども――善悪は定まっていなくても他人に恐怖を抱かせる事は十二分に出来るようだ。心底背筋が冷える。 「――『御剣剣』と『白羽逆刃』に接点は一応ありませんね。それじゃ調査頑張って下さいな」  吸血鬼のメイドは「お疲れ様です」と手を振りながら、笑顔で姿を消す。瞬き一つ程度した瞬間には影も形も無く消えていたのだ。  黒野喫茶は尻餅付き、深々と溜息を吐く。これで外からの入学生徒は黒野喫茶一人になり、更には『白羽逆刃』の調査の糸口を見失っての徒労である。  何度も溜息を吐きたくなる。愚痴すら言う相手がいないのだ。 「……簡単に言ってくれますね。その『白羽逆刃』には私の『ヴィジョン』が見えていたというのに」  『御剣剣』をダークマターの超能力ヴィジョンで殴って吹き飛ばす最中、あの例の女子生徒『白羽逆刃』はその動きを明らかに眼で追っていたのだ――。
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