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教育実習
さて、妙子は大学に行くために長野から東京へ引っ越しをしたが、自分には言葉の壁はないのだと思っていた。
体育大学で教員免許を取る為の単位に必要な教育実習は通常地元に帰ってすることが多いが、妙子は、大学に推薦で入っていたので、大学のリーグ戦と教育実習が重なってしまい、リーグ戦に出ないわけにもいかないため、大学近くの東京の高校で教育実習をした。
そこは女子高で、ずっと共学だった妙子には驚くべき場所だった。
女子がスカートをまくり上げ、平気で授業に望んでいる。
おしゃべりも多いし、どうしても始業の時に注意しなければいけなかった。
ただ、教室の中の一部には、女子特有の意地の悪い空気も漂っていた。
共学でもいじめられがちだった妙子はそう言った空気には敏感だった。
当たり障りのないように、普通に注意したつもりだったが、一部の生徒たちから、明らかに嘲笑の笑い声が起きた。
妙子は緊張もしていたし、何を笑われているのかがわからなくて、それ以上注意が出来なくなって立ち往生してしまった。
妙子が住んでいた長野県はあまりなまったりはしていないはずなのだが、イントネーションが違う言葉が結構多いことに、この学校で気づかされたのだった。
大学の中では全国様々な地域から学生が集まっているのでいちいちイントネーションくらいで馬鹿にするような友人もいなかった為、妙子は自分の話している言葉に自信が持てなくなってしまった。
仕方なく、最初の授業は淡々と進めたが、その間にもあざ笑うような意地の悪いひそひそ話が聞こえてくる。
妙子はチャイムと同時に授業を終わらせ、なんとか生徒の前では泣かずに教室を出た。
職員室の前の水道で顔を洗って、担当教官の所に報告に行った。
「うちの生徒たちがごめんね。」
担当教官は妙子が教室を出た後、生徒たちを叱ったようだった。
でも、そんなことで泣いた自分が恥ずかしかった。
妙子は言葉も一緒に引っ越せればいいのに。と思った。
少し時間が経っても心の中はビショビショだった。
その学校は中高一貫の私立の学校だったので、教育実習生もとても大勢いて、理科室の一室を教育実習生の控え部屋に一つ空けてあるほどだった。
様々な教科の実習生が集まるその部屋は妙子の憩いの場所だった。
教育実習の為に2週間だけ北海道から引っ越してきている実習生もいた。
「なんだか、私の話しかたがおかしかったみたいで生徒から笑われちゃったよ。」
と、北海道から来た実習生に控室で言うと、
「女子高の生徒は共学みたいに男子の目を気にしないから、意地悪なこと言う子もいるよね。あまり気にしない方が良いよ。それよりも、何がおかしかったのか聞いて、逆に話を膨らませちゃえば?」
そう言ってくれた。
彼女はその私立高校の北海道の分校の出身で、教育実習は東京で。と言われてきたのだそうだ。女子高出身なだけあって、強かった。
次の授業では、妙子は逆に笑いを取りに行ってみた。
真面目な性格だったのでそんなことをしたのは初めてだったが、生徒たちは遠い長野からの実習生は初めてだったので、そのイントネーションがおかしくて笑っていたので、だったら東京ではどういうのかを逆に聞いて、一番笑っていた生徒を指して、答えて貰ったりした。
同期の実習生のアドバイスで、その授業からはイントネーションが違うと
「せんせ~、また違うよ~。」
と、嘲笑ではなく、明るい笑いで返してくれるようになった生徒たちがいた。
言葉は自分の育った地域の宝物なのだから、引っ越すたびに増やせばいいんだ。妙子はそう思えるようになった。
色々な地域に引っ越すと、最初は言葉の壁に躓くことも多いが、それをネタにすることによってつながりを持つこともできる。
新しい土地に引っ越す人たちが、言葉の壁で泣くことがないように、皆優しい心でいてほしいと願わずにはいられない。
【了】
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