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あ、こいつ俺が好きなんだな。
ふとした拍子に気付く事ってあるよな。でも、咄嗟に気付いていないふりをしたのには訳がある。
男だったからだ。
俺も、あいつも。
俺は気持ちを鎮めようと買ったばかりの缶コーヒーのプルタブを押し開けた。つん、と鼻腔を抜ける濃い豆の匂いに緊張していた体がゆっくりとほぐれていく。
まいったなあ、というのが正直な気持ちだ。
何故俺なのだろうかとか、どうしてなのだろう、とは思うけど、嫌悪感はない。
疑問と戸惑いばかりだ。
あいつは、俺の同僚で。頭も良ければ顔もいい。性格だって悪くない。所謂優良物件、ってやつだ。もうこの表現古いか?
「俺ももう四十手前だしなあ」
俺自身が古いのだ。仕方ない。
俺はごくり、と一口コーヒーを飲み込んだ。苦味と共に、昔の記憶が蘇る。
あの時もなんとなくわかったんだ。
妻の浮気。
あ、他にいるな、とわかった。なんてことない顔で、彼女は他所の男と会っていた。
それからずっと一人だ。なんとなく。なんとなく、誰とも一緒になれなくて。
女性不信なんて大袈裟なもんじゃない。でも、ちょっと疲れてしまったのは確かだ。
もう一口コーヒーを飲む。さっきよりも苦い気がした。
だけど、想いに応えるつもりはないんだよなあ。
「どうしたもんだか」
呟いて、また一口コーヒーを口に含んだ。複雑な苦味が口の中に広がって、自然とため息が漏れた。
空を見上げると、俺の心を移したかのような曇天だった。
ーー数日が過ぎた。
あいつと俺は今まで通り、なんの変わりもない。
ただ、俺がちょっと気にしてるだけ。
例えば、誰かと話してる時にあいつを気にしてたり、あいつの様子を窺っていたり。
ああ、嫌だなあ。これじゃ自分に暗示をかけてるみたいだ。
こうやって、意識してくんだよな。
わかっているけど、どうしようもない。
俺はもやもやとした気持ちを吐き出したくて大きく息をした。
のびる。
ほんの少し芽を出したばかりの気持ちが伸びていく。
自分でも理解出来ないままに、あいつへと伸びていく。
俺が落ちるのが先か、あいつが俺を落とすのが先か。
今はただ、サイコロの出目を戦々恐々としつつ見守るしかないのだ。
複雑な気持ちを抱いたまま。
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