虫けらたちのララバイ

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 引っ越しのアルバイトを始めて一か月になる。  水曜日と金曜日が定休日だ。時々イレギュラーでシフトが変わるが、臨時で替わって欲しいと頼まれると断ったことがない。それが功を奏したのか、今回は初めて3連休を貰った。    商店街でたこ焼きを買った。なんだか一緒に食べたいなって思って、約束もしていないのに二つ買ってしまった。角を曲がると”LULU”と手書き風の看板が見える。小絵さんがフランス語で”素晴らしい”って意味なんだと教えてくれた。  誰かが大きく手を振って何か叫んでいる。あのクシャクシャとした笑顔で僕を手招きしている。彼女の声を近くで聞きたくて僕は思わず駆け出した。走ったからドキドキしているのに、収まらない動悸に困惑する。差し出した箱も震えている。 「居るとは思わなくて、でも二つ買っちゃったんで一緒に食べませんか」 「うわぁ、おいしそう食べよ、食べよ」  いまね、休憩もらったから部屋に上がって、と言われ店の奥に案内された。 「お茶でいいよね、でも若いからコーラとかの方がいいかな」 「いえ、お茶でいいです」  お茶を運んできた小絵さんはいつもより大人びて見えた。後ろで一つに束ねているからか、色白な首筋があらわになって色っぽい。  初めて逢った時は二つか三つ違いと思ったが、七歳も年上だったとは驚きだ。童顔のせいもあるが、話すと気さくで年の差を感じさせない。今日は珍しくスカートをはいているので女の人を意識しているのかもしれない。このくらいの至近距離で話したこともあったのに、なぜかドギマギしてしまう。 「やっぱ美味しいね、伊東屋のでしょ、ここのはタコが大きいからね」 「そうですね。たこ焼き好きなんで偶にご飯のおかずにしちゃいます」 「それ関西人じゃん、さすがにそれはないわ」小絵さんが笑っている。  白いご飯だけでは物足りなくて、おかずにするけどそんなに好きなわけじゃない。でもそんなことはどうでも良かった。こんな冗談で小絵さんが笑ってくれるだけで、僕が幸せになれるんだ。 「聞いてもいいですか?なんで、こんな僕を気にかけてくれるんですか」 「お節介でしょ、保護司をやっていた父の影響かも。知ってる?刑務所から出所した人を見守るの。父みたいになれなくても、少しでも困ってる人の助けになりたいなあって、3年前に病気で亡くなるまで親身になってサポートしてるのを見てたから、意思を継ぎたくて」  部屋の隅にある棚に父親の写真が飾ってあった。ひとめで小絵さんは父親似なんだとわかった。写真の真ん中で顔をクシャクシャにして笑っている。  しばらくしてアルバイト先の親切な先輩、岩井さんと小絵さんが婚約していることを知った。僕を社長に推薦してくれたのも、小絵さんが岩井さんに頼んだらしい。岩井さんはなにも言わなかった。言う必要もなかっただろう。  僕たちは職場の先輩後輩でプライベートを話すほどに親しくない。いつも明るくて朗らかな小絵さんと物静かな岩井さんはお似合いだと思った。
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