ララバイ

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ララバイ

   僕はアルバイトを辞めた。がんで入院していた母の葬式で休んだのを機に行かなくなった。辞めますと電話で告げたら、社長が気が向いたら、また来いと言ってくれた。なんか柄にもなく泣きそうになったので、慌てて電話を切った。  僕には勿体ないくらいの職場だった。わかってるけど、どうしようもない。また途方に暮れるその日暮らしが始まる。僕は足掻かずここにいよう、膝を抱えて考えるのをやめよう。  小絵さんからの電話には出なかった。折角の好意を裏切る形になったけど、岩井さんと結婚して幸せになれば、僕のことなんかじきに忘れるだろう。  そんなある日、嫌な噂を耳にした。暇つぶしで入ったパチンコ屋での話なので真意は定かではない。でも花屋の娘というフレーズが騒音の中でもハッキリと聞こえたので聞き耳を立てた。小絵さんがストーカーの被害にあっているらしい。どうやら、ここの常連で脅迫したとかしないとかで警察から警告を受けたというのだ。あっ、来たアイツだよ、ヤクやってるらしいから拘わらない方がいいぜ、と言って話の輪が解けた。  入ってきた人物に見覚えはなかった。三十代半ばの髪の薄い貧相な男だ。店内をぐるり見回すと空いてる台の釘を見ている。品定めが終わり、選んだ1台に煙草を置いてコーヒーを買いに行った。  1時間ほど打って男は換金のためカウンターに行く。全部、煙草に替えるとそのまま店を出た。夜の8時頃だ。スロットをやっていた僕はコインをポケットに入れ男の後をつけた。  男は花屋まで行き、シャッターが閉まっているのを確かめて裏に回った。物陰に隠れるようにして家の様子を窺っている。ストーカーに間違いがないと確信した。小絵さんがいるのなら、これから一人で自宅のマンションに帰るはずだ。僕は男の行動を見張った。30分ほどたつと小絵さんが出てきた。  男は死角になるように、近くの看板に身を潜めた。ジッと鋭い眼光で小絵さんの姿を追っている。意識がそちらに集中してるので、間近で見張っている僕には気が付いていないようだ。  この先に広い駐車場があり、そこの脇道は暗いし人気(ヒトケ)も少なくなるので心配だ。襲われたら叫んでも、すぐには助けも来ないだろう。小絵さんよりも男の行動に焦点を合わせる。なにか事が起こったら、阻止するだけの俊敏さが求められる。緊張で足がこわばる。  駅までの道を尾行したが、男はただ後をつけただけで今来た道を戻ってくる。今日は何事もなかったが、男がストーカー行為を働いているのは明らかだった。警告を受けたにしても、この先なにがあるかわからない。そう思うと居ても立ってもいられず、男の前に飛び出していた。  男は突然の出来事に驚いて、腰砕けになりながら後退りした。こんな男が小絵さんを傷付けるのは許さない。抑えられない激情に翻弄されながら、にじり寄る。 「何してるんだよ、ずっと見てたんだぞ」 「なんだよ、おまえ誰だよ」 「誰でもねぇよ、キモイからストーカやめろ」 「うっせぇんだよ、クソガキ!指図なんて受けねぇ、黙ってろ」  男がいきなり走り寄ってきた。腹の辺りに鋭い感触が当たり、男が離れると力が抜けて膝から崩れ落ちた。油断した。喧嘩なんて日常茶飯事で、こんな対峙は慣れていたのに、、、こんな男に、まさか、、、  少しあたりが明るくなってきた気がする。スマホの充電が切れていたので時間は見れない。こうやって朝が来て、みんなには当たり前の明日が来るんだと思った。こんな早朝に人が通らない路地裏で、人が死んでたらビックリするよな。しかも道路一面に血が流れていたら、足が竦むほどの恐怖だよ。子供だったら一生のトラウマかもしれない。いや通学時間でもないので子供の可能性は低い。新聞配達か、犬の散歩、早朝ランニングの人とか、、、  まっ、人が死んでたら子供でも大人でもトラウマだな。  ちょっと心臓が痛い、いよいよ終わりかも。何も考えられないくらいに意識が薄れていく。もしかして最初から考えることなんてしてなかったかも、、、ちゃんと考えてたら、もっとはマシな生き方が出来たのかな。   フンっと鼻で笑ってみた。粋がってふんぞり返って、悪態ついて、唾を吐いて、石ころ蹴飛ばして、そうしなければ先に歩けなかった。  遠巻きに見ていた奴らに、ざまあみろって言ってやるよ。おかげさまで、つまんない人生終えることが出来ましたって。  遠くで歌が聞こえる。  ほら、聞こえるでしょ、小絵さんの声だよ。  小絵さんが歌っているんだよ、僕のために、僕だけのために。  僕が寂しく逝かないないように、彼女が歌ってくれる子守歌。  大丈夫だよ、僕は平気だよ、いつものひとりぼっちにもどるだけだから。
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