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 しかし、普通の会社員と、飲食店店長の生活リズムが違うのは当たり前の話だった。昨日のうちに友嗣と連絡先を交換し、家の住所と合鍵を渡したところまでは良かったのだが。  駿太郎は目の前で、昨日の服のままソファーに寝転がる友嗣を見下ろす。  仕事は午前零時に終わったはずなのに、友嗣が帰ってきたのは明け方になってからだ。しかも奴は噎せ返るほどの香水の臭いを付けていて、さらに首元には、口紅と思われるものが付いている。  早速これは浮気か? と思うものの、あくまで友嗣は【恋人のふりをした居候】なのだから別に関係ない、と思い直す。  しかしそれよりも。 「おい、汚い身体で寝るな」  あからさまに事後と思われる身体で、そのままスヤスヤと眠れる神経がわからない。眉間に皺を寄せた駿太郎は、「おい!」と大きな声で友嗣を起こす。 「……ん? あ、おはよう……?」 「おはようじゃない。何やってたんだ、こんなきっつい香水の臭いさせて」  目を開けた友嗣は、そのままふにゃりと笑った。 「ん? ……覚えてないや……」  目を擦りながら起き上がる友嗣に、「風呂入ってこい」と駿太郎は踵を返す。背後で「いいの?」と聞かれたので風呂の場所を教えると、「分かったー」と動く気配がした。  駿太郎は小さくため息をつく。初日からこれじゃ、先が思いやられるな、と。  本当はもう少し寝られるはずだったけれど、この状態じゃ眠れない。  駿太郎はキッチンに入って朝食の準備をすることにした。メニューは一人暮らしを始めてから変わらない、食パンと目玉焼きとコーヒーだ。 「……寒っ」  ぶるりと身体を震わせ、エアコンをつける。そこでふと気付いた。  暖房もつけないで友嗣は寝ていたのだ。 (え、何? 暖房も風呂も、家主の俺が寝てたから遠慮してたとか?)  さあっと血の気が引く。確かに、許可なく使うのは気が引けるだろう、と今になって気付いた。香水の臭いに気を取られて、不機嫌を丸出しにした自分が恥ずかしくなる。どうやら、友嗣もそれなりの分別はつくらしい。 「……」  気を取り直してフライパンを取り出すと、卵を二つ、そこに割って落とす。 「……いや、これは自分の朝飯を作るついでだからな」  誰に向けたかわからない言い訳をし、卵が焼けるのを待つ。その間、マグカップ二つにインスタントコーヒーの粉を入れ、食パンを二枚用意した。ちなみに朝食のパンは、焼かずに素のままでいただく。  卵が焼けて食パンの上に乗せると、友嗣がリビングに戻ってきた。持ってきていたらしいラフな服装に安堵したのも束の間、駿太郎は素早く友嗣のもとへ駆け寄る。 「おまっ、髪の毛ちゃんと拭けよ!」 「ん? ああ、めんどくさくて……」  面倒臭いのレベルじゃない、と駿太郎は友嗣の肩に掛けていたタオルを引っ張り、髪の毛を拭く。ぽたぽたと滴り落ちるくらいに濡れていた髪の毛は、あっという間にタオルを濡らした。 「水が落ちてるだろ! せめて落ちないくらいには拭け! 掃除が増える!」  子供か、と駿太郎は怒鳴るけれど、友嗣は黙ってされるがままだ。そんな様子を見て、駿太郎は前言撤回、と心の中で叫ぶ。  遠慮なんて殊勝なことをするかと思えば、早速朝帰りだし髪もきちんと拭かない。面倒なことを押し付けたな、と将吾に軽く殺意すら覚えた。 「あのな、使った分はもちろん請求するから、風呂も暖房も使え。この時期は特にシャレにならん」 「……えー?」 「えー? じゃないっ」 「シュンは、俺に風呂と暖房使って欲しいの?」  友嗣はガシガシと髪を拭かれながら、タオルの隙間からこちらを見てきた。不思議なことに、友嗣の方が背が高いのに、なんだか上目遣いで見られている気がする。 「そりゃそうだろ。あんなキツイ香水の臭い振りまかれるのも迷惑だし、寒くて凍死されるのも勘弁だ」  大体な、と駿太郎は友嗣の頭を両手で掴む。 「恋人のフリしろって言ったのはそっちなのに、早速朝帰りしてんじゃねぇ」 「……言ったのは将吾だよ?」 「それがお前をここに置く条件だっただろーが」  へらへらと笑う友嗣に、思わず手に力が入った。いたい、となぜか笑う友嗣に、ますます駿太郎はイラつく。 「お前何笑ってんだよっ」 「あはは、お前じゃないよ、友嗣だよー?」  どこまでも緩く笑う友嗣に、駿太郎はさらに手に力を込めて髪の毛を拭いた。あらかた拭けたところでソファーを指す。 「もういい。そこ座れ」 「はーい」  にこにこと笑いながらソファーに向かう友嗣を横目に、駿太郎はキッチンに戻る。目玉焼きは冷めてしまったけれど、コーヒーは熱々が飲めるからいいか、とマグカップにお湯を注いだ。 (……先が思いやられる)  初日からこうでは、駿太郎の神経がもたない。出ていくまでの辛抱だと言い聞かせ、食事をソファー前のローテーブルまで運ぶ。 「っていうか、そのまま相手の家に止まらなかったのかよ?」  香水といい、口紅といい、事後だったのは明らかなのに、相手の家に世話にならなかったことが意外だった。駿太郎としてはそうしてくれた方がありがたかったけれど、なぜここに来たのか不思議で尋ねてみる。 「えーっと? あんま覚えてない? たぶん、外だったから?」  あと、将吾が「ちゃんと帰れ」って言ったから、とのんびり話す友嗣。駿太郎はあまりの衝撃に、開いた口が塞がらなかった。  本当に、嫌な奴を押し付けられた、と思ったのだ。そして自分の良心が、友嗣を追い出せないことを将吾は見越している。 (こんな……酔って外で誰と致したかもわからない、しかもその汚れた身体のまま寝るような奴を……次会ったら文句言ってやる)  けれどまずは、目の前の本人に言わなければ。 「わかった。将吾の言う【恋人ごっこ】を俺もしてやる。だから、ゆきずりの相手とセックスすんのやめろ」 「ふふ、わかった」  やっぱりにこにこしながら緩い返事をする友嗣に、本当かな、と思いつつも駿太郎は続ける。 「それから、これを食え。朝食はいつもこのメニューだから、不満なら自分で食材を買って作れ」 「いいよー。めんどくさいし」 「あと、家賃光熱費は折半でいいか? もちろん、十二月分は日割りで計算する」 「うん」  笑顔を崩さない友嗣は本当に分かっているのか。胡散臭く思ったのでさらに続ける。 「家事も当番制な。それから、俺は自分のペースを乱されたくないから、家の中では放っておいてくれ。この家では色事禁止」 「わかったー」  素直に頷く友嗣に、これは絶対わかっていない、と駿太郎は項垂れた。
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