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「待て。絶対わかってないだろ」
駿太郎は元恋人と同じ条件を、友嗣に出したのだ。最後の一言に元彼は驚いて躊躇ったのに、友嗣は首を傾げている。
「お前は、外でもここでも、セックスするなって言われてるんだぞ?」
「……そうなの?」
やっぱりわかっていなかった、と駿太郎はため息をつく。この頭も下半身も緩いコイツをすぐにでも追い出したい衝動に駆られたけれど、思いとどまる。
多分、駿太郎が本気で出ていけと言ったら、友嗣はニコニコしながら「わかったー」と家を出ていきそうだからだ。そしてまたゆきずりの相手と寝るだろう。
「いいか、そういうのは、好きな人とやれ」
「……」
駿太郎はそう言うと、友嗣は考えるように視線を斜め上に向けた。そしてうん、と頷くと抱きついてこようとする。
「ちょ、っと待て! なんでそうなる!?」
「ん? だって俺、シュンのこと好きだよ?」
やっぱり、と駿太郎は迫ってくる友嗣の顎を手のひらで押すと、あのなあ! と叫んだ。
「恋愛っていう意味でだよ! お前の好きは、将吾サンも俺も、今朝方まで一緒にいた奴も、全部同列だろ!?」
そう言うと、友嗣はまた考えるように動きを止める。彼は将吾と同い歳だと聞いた。ということは駿太郎より二つ歳上の三十二歳なのに、言動や思考がまるで子供だ。
「……そっか」
どうやら納得したらしい。駿太郎から離れてくれたので、大きなため息をつく。とりあえず食べよう、と促すと、友嗣はまた動きを止めた。
「……食べていいの?」
「俺の朝食のついでだ」
コーヒーが冷めたな、と思いながら駿太郎は座り直してパンに齧りつく。隣で「わーい」とにこやかに食べ始める友嗣を横目に、駿太郎は内心大きなため息をついた。
これは絶対今日も【ピーノ】に行って、将吾に文句を言わなければ。どうして自分と合うと思ったのか、小一時間ほど問いただしたい。
その後朝食を食べ終わると、駿太郎は出勤の準備をし、友嗣は午後まで寝るという。【ピーノ】は午後からの開店なので、仕事から帰った頃には彼はいないだろう。
(いや、だからいない方が助かるんだって)
自分以外のことで思考を占められるのは落ち着かない。それが嫌で、恋人が家に遊びに来ても放っておいて欲しいと言っていたのだ。けれど友嗣の言動が危なっかしくて、ついつい口を出してしまう。
いったい、どんな生き方をしていればあんなふうになるのか?
(いや、それこそ俺には関係ないな)
そう思って、駿太郎はワイシャツに腕を通した。
◇◇
駿太郎の仕事は、社員の社会保険、健康保険、年金保険などの書類作成、届出。それから人事や労務に関する管理業務……つまり社労士だ。
二年前この会社に転職し、今日まで可もなく不可もなく、やってこれている。
(前の会社に比べたら、業務量は大したことないし)
二年前までは社畜だったなぁ、と駿太郎は遠い目をした。おまけに当時社内恋愛していた恋人とは、大々的に関係がバレてしまい、いづらくなって退職する。同時に恋人とも別れて、ヤケになって飲みに行ったのが【ピーノ】だった。
初対面の将吾に管を巻きつつ絡み、丁度いいから仕事と住まいを斡旋してやるよという彼の話に乗った。思えば、滅多に冒険しない自分が、初めて行く店で、初めて話す人の案に乗るなんてとあとで青ざめたけれど、結果的に今は落ち着いた生活ができているので良かったのだと思う。
そういうことで、駿太郎は将吾に頭が上がらない。この二年で将吾は、実はかなりやり手だというのも気付いてきた。逆らわない方がいい相手というのは、一見そんな感じを見せないから怖い。
淡々と業務をこなしていると、あっという間に終業時間だ。定時を二分ほど過ぎたところでキリがついたので片付けを始める。
「あの、上藤さん、……少し良いですか?」
「……なんでしょう?」
定時を過ぎたぞ、と思いながらそばに立つ女性社員を見上げる。すると彼女は、一気に緊張したような顔をした。
「あの、お話がしたいのですが……」
「……仕事のことなら業務時間内にお願いします」
仕事のことではないのなら今、ここで、と机の上を片付けながら言うと、女性は躊躇ったようだ。
「……できれば、もう少し落ち着いたところで話したいんです。えっと、このあと食事とか……」
「申し訳ないですが、予定がありますので」
緊張からか、声が震えている彼女の言葉を敢えて遮り、駿太郎はデスクの鍵をかける。それならいつが良いですか、と食い下がる女性に、駿太郎は視線も向けずカバンとコートを取り出した。
「私は貴女と食事をするつもりはありません」
どうぞほかを当たってください、と逃げるようにその場をあとにする。周りからの視線が痛くて、駿太郎はカバンを持つ手にギュッと力を込めた。
(仕方がないじゃないか。俺はゲイなんだから)
どう足掻いたって好きになれない人とは食事もしない。変に期待させたくないし、それで痛い目も見てきている。
決して自惚れではないけれど、駿太郎は若干童顔ではあるが、女性にモテる方だ。仕事場では真面目で誠実であるため、私生活でもそうだと思われるらしい。だから今みたいに、取り付く島もなく断る。
毎日定時で仕事を終わらせ、真っ直ぐ家に帰って、コンビニ弁当か【ピーノ】で夕食を摂る……その繰り返しだ。出会いはネットを探せばいくらでもいるし、身体目的じゃない相手なら、自宅でのセックスを許さなければいい。
(ま、それもそろそろ解禁してもいいんだろうけど)
駿太郎がルーティンを崩したくない、家に情事を持ち込みたくないのは、家族……特に弟の存在があるからだ。
両親は教師、そして弟の光次郎は国家公務員であり、真面目家族を絵に書いたような人たちだ。両親には二年前、駿太郎が転職した際になんとなく性指向がバレてしまったが、そっとしておいてくれている。けれど、光次郎はそうはいかなかった。
光次郎は自分の仕事に誇りを持っているらしく、ことあるごとに駿太郎を馬鹿にしていた。家族、親戚中で会社員なのはお前くらいだ、と。もちろん、そうじゃない親戚もいるけれど、税理士や弁護士……いわゆる師士業といわれる職業の人ばかりだ。
社労士だって立派な職業だ、と反論したけれど、雇われている時点で終わりだ、と一蹴された。そしてそのうえ、ゲイなんてふざけている、と言われてしまう。
駿太郎には彼の言う職業の差はわからない。それも光次郎がバカにしてくる要因だった。
そして、それからはたびたび様子を伺ってくるようになる。兄さんは危なっかしいから、と本人からの監視宣言とともに。
(今のところ、電話だけだからいいけど)
だから、私生活も真面目でいたい。あんな、へらへらした友嗣が自宅にいるなんて、知られたら光次郎はなんて言うだろうか。
「……なんか、色んな人から弱みを握られてばかりだな、俺」
そう独りごちてため息をつく。これが、異性愛者なら何か違ったのだろうか、と自宅に帰った。
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