さら

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 「ママ?どうしたの?」  その声に我に返ったまゆは、何でもないと言ってひなを振り返った。そこには、心配そうに大きな瞳を震わせているひなの顔がある。  ひなは、もうすぐ10歳になろうとしていた。その大人びた小さな顔立ちは、徐々に大人の女性へと変わろうとする蟲惑的な魅力に溢れている。もうすぐ初潮も迎えるだろう。  ひろみとまゆも、こんな年頃の時は怖いものなどなかった。貧しいことも、世界が広いことも関係なく、海辺で毎日ひろみは歌を歌い、まゆは発声練習をしているだけで満ち足りた気持ちになれていた。二人でいれば、無敵だった。  今は、こんなにも離れてしまった。  なぜ?なんで私だけ?なんで?なんで?  まゆは、無意識のうちにひなの首に手をかけていた。  「ママ!!く、苦しい!!ママ!マ、ママ…」  ひなは、恐怖でますます瞳を見開いて、そこから涙がぼろぼろと溢れ落ちている。それでもまゆは、そんなひなの瞳が恐ろしかった。憎かった。その細い首を握った手に、更に力を入れていった。  「やめろ!!まゆ!!!!!!何してるんだ!!」  ひなを迎えに来た彼が、ひなの泣き声に異変を感じて、脱兎の如く飛び込んで来た。離そうとしても手の力を抜かないまゆを、彼は叩き飛ばした。まゆはリビングの床に転がって行き、窓ガラスで頭を強く打つとやっと動きを止めてくたりとなった。  ひなの呼吸が戻るのを確かめ、彼は直ぐ救急車を手配した。  遠くの方から、救急車のサイレンが近づいてくる。  呆然としてひなを抱きしめる彼の耳には、サイレンの音と青い小鳥の(さえず)りだけが部屋にこだましていった。
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