3人が本棚に入れています
本棚に追加
16. 嬉しくて
16. 嬉しくて
仕事の量を少なめにしてもらった。とはいっても、NIGHT&DAYの東京でのライブのバックには、必ずと言っていいほどつくことになっているし、テレビのバラエティー番組や、You tube の動画撮影や、雑誌のグラビア撮影もある。もちろん、デビュー済みの先輩たちほどではないにしても、仕事はそれなりにある。だから、受験生の2人には、勉強時間の確保もけっこう大きな問題だ。
想太は、移動の車の中や電車の中は、参考書などを開くこともある。一方、琉生は、乗り物での移動中に文字を読むと酔いそうになるので、電車はまだしも、バスや車では、本は読めない。
想太は、琉生といるとき、クイズの出題者のように、参考書や教科書を見ながら、琉生に問題を出す。琉生がそれに答え、間違えたり覚えていなかったりすることは、想太が答えと解説を読んでくれる。
今日も、帰りの電車の中で、想太は社会の参考書から、琉生に問題を出していた。
何問か出した後、想太が言った。
「なあ、琉生。実はさ……」
「うん?」
「琉生は乗り物の中で字が読めなくても、聞くのは大丈夫やろ? それでな、実は、試しに作ってみてん」
なんと、想太が、自分で音声教材を作ったのだと言う。
「え~、すごい!」
琉生が目を見開く。
「いや、それほどたいしたモンちゃうで。とにかく、教科書や参考書の大事そうなところ、声出して読んで録音しただけやけど」
「いや、すごいよ。たいしたもんだよ!」
「ほんま? じゃあ、もしよかったら、聞いてみる?」
「聞く聞く」
想太が、リュックから小さな音楽プレイヤーを取り出した。ワイヤレスイヤホンを琉生に手渡す。受け取ったイヤホンを耳にはめる。想太が、プレイヤーを操作する。
やがて、イヤホンから、想太の声が流れてくる。理科の教科書を真面目な声で読んでいるかと思ったら、途中で、「あ。ここ、めっちゃ大事やと思うで。先生がやたら力入れて説明してたとこ」とか、笑いながら言う声が入る。琉生もつられて、笑いそうになる。想太の声は、楽しそうだ。
「面白い! すごい! ずっと聞いていたくなるよ」
「ほんま? よかった~」
「これ、作るの時間かかっただろ? 」
「いや。勉強しながら、それ、そのまま録音しただけやから。それほどでもないで。じゃあ、それ、あげるから使ってみて」
「え、このプレイヤー……?」
「それは、父ちゃんからもらったやつ。オレも、かあちゃんからもらったやつ、同じの持ってるから」
「ええ、いいの? 圭さんのだったら、想太、自分で使うでしょ」
「いいよ。琉生もファンだろ? 好きな人の使ってたやつだって思うと、テンション上がって、勉強捗るやろ?」
「想太……」
……嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。圭さんの使ってたプレイヤー。それも嬉しいけど、それ以上に、想太が自分のために、教材を作ってくれたことが、めちゃくちゃ嬉しい。
「嬉しくて、涙でる……」
泣きマネをしながら冗談めかしていったけど、本当に琉生は、泣きそうだった。
何気なく言った、小さな一言でも、想太は、ちゃんと覚えていてくれる。
圭のファンだということも、出会ったころに話していた。ほんとは、ただのファンでおさまらないくらい、強く憧れている人だけど、圭と想太の間に割り込んではいけないと思って、その憧れは話さずにいた。それでも、想太はおそらく察してくれているのかもしれない。
琉生が、乗り物の中で文字が読めないことも、きっとずっと気にかけてくれていたのだ。
「教材は、随時更新するよ。更新したら、データ、それにダビングするからね」
「うん。ありがとう」
「今、その中に入ってるのは、理科の第1分野と歴史。お互いの学校の教科書が共通でよかったよ」
「うん……ほんとに、よかった」
「また、定期テストのときとかは、範囲わかったら教えてな。そこ優先して作るから」
想太は、この先も音声教材を作るつもりでいるらしい。
「僕も、作るよ。分担しよう。そしたら、お互いの声聞きながら、勉強できるし」
「それもいいね。英語とか国語、琉生の声で聞きたい気がする」
「そう?」
「うん。朗読とかしたら、琉生の声、めちゃくちゃ気持ちいいもん」
想太が、薄茶の瞳をキラキラさせて、琉生に笑いかける。その笑顔が眩しい。
琉生の胸が、トクンと、小さな音を立てた。
自宅の最寄り駅からは、歩いて5、6分ほどのところに、手芸用品店はあった。
「ずっと前は、大きなショッピングモールの中にあってんけど、最近、家から近いところに移って、行きやすくなってん」
「へ~。駅のこちら側には、あまり来たことなかったよ」
「けっこう、遅くまで開いてるから助かるねん」
想太が先に店に入る。琉生もその後に続く。
「こんばんは~」
「いらっしゃいませ~。……あら、想太くん」
すっかり店の人とも顔なじみのようだ。琉生も、こんばんは、と声をかけて会釈する。
「あら、お友達と一緒? ……あ! もしかして! まあ。 藤澤琉生くん?」
「あ。はい」
「まあ。嬉しい……うちの娘が琉生くんのファンなのよ」
「ありがとうございます」
「どうしよう。ずるいって言われそう」
そう言いながら、店主らしい女性が朗らかに笑う。
そして、想太に声をかける。
「また、羊毛フェルト?」
「はい。めっちゃたくさんオーダー入っちゃって……」
「そうなの。何を作るのかしら?」
「えっと、ネコとかパンダとか、いろいろ」
そう言いながら、想太は、スマホにメモしたものを彼女に見せる。
「……まあ。いろいろあるわね」
「師匠。オレ、その中で1つ困ってるのがあるねん」
師匠、と言われた女性は、羊毛フェルトの達人なのだという。店内にもいくいつか作品が展示されているが、それらはすべて、彼女の作品なのだと、想太がまるで自分が作ったみたいに、嬉しそうに言う。
「ほら、その龍っていうオーダー。龍って、何色で作ったらええんかな?」
「色はなんでもいいと思うよ。好きな色で。ただ、よく見かけるのは、なぜか緑色が多い気もするけど」
「緑か……」
「龍先輩の、好きな色訊いて、それにしたら」
琉生が言うと、
「そっか。そやな」
さっそく、想太が、先輩にメッセージを送っている。想太は行動が早い。
そんな想太を横目に見ながら、琉生は、店内を見て回る。
表の道に面したウインドーのところ、壁際の木の棚の上、いろんな場所にさりげなく飾ってある羊毛フェルトの作品は、動物だけではなくて、果物や家具とか、実にいろんなものがある。
「羊毛フェルトは好きなようにフェルトのわたを足していって形にすれば、何でも作れるわよ」
「おもしろいですね……」
いくつか見て回っている途中に、ふと琉生の足が止まった。
手のひらサイズの、小さな木のテーブルの上に、1冊の本が載っていた。落ち着いた赤色の表紙の本。その本も、羊毛フェルトでできている。その本の隣りに、もう1冊、ページが開かれた状態の本がある。その横には、コーヒーかココアの入ったカップが置いてある。もちろん、それも羊毛フェルトだ。
(本か……。本もいいな)
ふと、琉生の頭に、学校図書館のカウンターが浮かぶ。それと一緒に、カウンターの前に座る織田 空の姿も。織田が、この本のマスコットを見たら、目を輝かせそうな気がする。
「写真、撮ってもいいですか?」
店の女性に訊く。
「もちろん」
「ひょっとして……この赤い本、もしかしたら、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』ですか?」
「あたり。よくわかったわね」
「その隣の読みかけの本は『モモ』かな?」
女性は、にっこりほほ笑んだ。
「この本もええやろ?」
横から、先輩とのやりとりを終えた想太がひょっこり顔を出した。
「うん。なんか、自分でも作りたくなってきた」
「そう言うと思った」
想太が嬉しそうな顔になる。そして、『師匠』の方に向き直ると、
「あ……龍、緑にします」
「緑、どの緑にする? 黄緑、濃い緑、抹茶色、鶯色、いろいろあるわよ」
「あ。そっか。緑もいろいろあるよな。うわあ……ムズすぎ……」
頭を抱えている想太に、琉生も女性も思わず笑ってしまった。
最初のコメントを投稿しよう!