7. 情熱

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7. 情熱

 悩んでばかりでもしかたないしな。  琉生は少し気を取り直す。(この頃少しずつ、それができるようになってきた)  『観察』  レイの言葉が浮かぶ。  琉生はひとまず、シュリーマンを『観察』することにした。  そして、シュリーマンの真似をして、まず外国語を勉強しようと考えた。  できるだけたくさんやってみて、その知識を元にして、いつか未解読の古代文字を読めるようになったら、楽しいかも……。  そんな考えも思い浮かんだりしたが。  でも、それは、ふわっとした、ゆるい夢想でしかなくて、願望と言えるほどの強い力のあるものではないと、すぐに琉生は気づいてしまった。自分の気持ちは、到底シュリーマンの熱意には及ばない。  もしかしたら、『自分には絶対これだ!』 と思える夢はいつまでたっても見つからないのかもしれない。  琉生は少しがっかりしたけれど、シュリーマンの影響で始めた外国語学習は、思っていた以上に大きな楽しみになったので、これはこれでいいのかもしれない、そうも思えてきた。    何かにチャレンジしてみて、その中で出会ったものを少しずつ自分の力にしていけばいいのかもしれない。ロールプレイゲームの主人公たちが、旅の途中で、アイテムを一つずつ手に入れて、だんだん強くなっていくみたいに。  そんなある日、琉生が学校から帰ると、リビングのテレビで、母のさつきがテレビを観ていた。  数年前に放映された、母のお気に入りのドラマだ。DVDも手に入れて、一体何回観たのかわからないほど、母も姉もしょっちゅう観ている。    琉生は、これまでチラチラと横目で見るだけで、本気で観たことはなかった。テレビでの初放映時は、まだ幼稚園児で、今ひとつドラマに関心はなかったし。 「ピアノのシーンがすごく素敵なの。もう絶対この人、演技じゃなくて、ほんとにピアノが好きなんだなって伝わってくるの。こう、くちびるの両端をあげてね、とろけるようにほほ笑んで。幸せそうな表情になるの」  母だけじゃなくて、姉のレイまで主演の俳優に夢中で、そう言う。  琉生としては、『そんなに好きなものがある人』に、正直、コンプレックスを感じていたので、再放送もDVDもあまり観る気にはなれなかったのだ。  ところが、その日は、なぜか母が焼いたクッキーと紅茶の香りに誘われて、つい一緒に座って、見始めてしまった。  主人公はピアニストで、全国各地を演奏旅行して回る旅先で、毎回事件に遭遇し、それを見事に解決して去って行くという、ふつうに考えたらそんなことあり得ないだろう、という設定のドラマだ。 (なんて設定だよ。……ありえない)  そんなことを思いながら見始めた琉生は、あっという間にそのドラマの中にひきこまれていった。  いや、正確に言うと、その主演の俳優に、惹きつけられたのだ。    彼は、表情豊かに、その役をのびのびと演じていた。いや、演じているという感じはしない。その役の人物が彼そのものなのだと思えた。  笑ったり、泣いたり、怒ったり、ほほ笑んだり、甘えたり、拗ねたり。もちろん、キリッとカッコいい表情もある。  自由にのびのびとその人物は、画面の中で生きていた。  そして、いつだったか、母や姉が二人して話していたピアノの演奏シーン。  主人公がピアノに向かう瞬間の、そのとろけるような幸せそうなほほ笑みに、琉生は衝撃を受けた。 (これ、演技じゃない。いや、演技だろうとなんだろうとすごい。こんな表情されたら、もう誰も目が離せなくなる)    琉生は、自分がその演奏会場にいるみたいに、夢中でピアノの音に聴き入り、拍手までしてしまった。    ラストは、無事に事件も解決し、感動的な演奏会も終えて、主人公とマネージャーのおじさんが電車に乗りこみ、車窓から見える景色を楽しんでいるシーンで終わりだ。  笑ったり、ハラハラしたり、泣いたり、ホッとしたりしながらも、見終えて心から幸せを感じられるドラマだった。  すっかり引込まれている琉生に、母が何と言ったのか、あまり覚えていない。それくらい彼は夢中になってしまった。    よくわからないけれど、上手く言えないけれど。  すごい、と思った。  シュリーマンにはなれないけれど。 「僕は、この人みたいになりたい……!」  琉生は、胸の中に初めて、小さいけれど熱い何かが宿ったのを感じた。
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