第一章

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今どきの若者に部類される彼が、もうすぐ還暦を迎えようとしている波戸に聞くなんていう奇妙な光景は他ではあまり見られないだろう。左門寺も続けて、「僕も、フランス料理は少し堅い感じがするよ、幸守くん」と言った。 「え、じゃあやめた方がいいか?彼女を初めて見たのがフランス料理店だったから、そのイメージしかなくてフランス料理に決めたんだけど」 焦る幸守。デートの時間まで時間がないというのにそんなことを言われてしまっては焦るに決まっている。そんな彼に波戸は「その子が好きな食べ物とかは聞いたんですか?」と聞いた。 「あ、そういえば聞いてなかった……」 その約束を取り付けたところで、まさに有頂天になっていた彼は、そのリサーチすら忘れてしまっていた。その大失態に驚く波戸は「え、聞いてないんですか!?」と聞き返し、呆れる左門寺は「あーあ。これは詰んだね」と言った。 「え、俺もしかしてもう無理?取り返しつかない感じか?」 焦る幸守は戸惑いながら二人に聞いた。 「なかなか厳しいだろうね」「相手の好きなもののリサーチくらいはしないとダメですよ先生」と、それぞれ答えてから、付け加えて幸守を励ましたのは左門寺であったが、その時の彼の顔はまた悪戯な笑みを浮かべていた。 「まぁ、この失敗は次の小説に活かせばいいさ」 そのニヤケ顔は焦る幸守の感情を逆撫でするには充分であった。「そんなこと言わないで何か良い案を出してくれよ!」と声を上げる幸守に左門寺は「それくらい、自分でなんとかしたらいいじゃないか」と冷たく言った。そんな彼に泣きつくほど、幸守は落ちぶれていない。彼が目を向けたのは、波戸であった。その視線に気付いた彼女は「今からでも遅くないんですからその相手に聞いてみたらどうなんです?」と、聞かれる前に答えたのである。
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