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年齢を少し重ねると父の着ているジャケットが気になった。少し前まではただの服に過ぎなかったが、いつのまにかそれがカッコよく映るようになった。年齢を少し重ねたと言っても私の我儘は治っておらず、ふとした時、父にそのジャケットが欲しいと言うことを言ってみた。何かをお願いする時は父は基本的に静かに頷いてお願いされた通りに動くのだが、その時だけは「ダメ」と言った。「まだブカブカだから、吉木がもっと身長が伸びてからまた言って」と断ったのだ。
そんな会話からしばらく経った日、父が珍しく酒に酔って帰ってきたことがあった。深夜のことだったので私は寝ぼけた頭でそのことを認識したが、その眠気も冷めることがあった。父が祖母に甘えるように寄り添っていたのだ。肩揉みをするように父が祖母の肩に手を添えて話していた。私は扉の隙間からその光景を見た。
「ねぇかーさん、吉木がさ、母さんがくれたジャケットを欲しいって言ってきたんだ」
「そーう」
「まだブカブカだからダメだって言ったんだけどさ、本当はさ、俺、吉木にあのジャケットあげたくないんだよ。意地の悪い話だけどさ、大人になる前に母さんが買ってくれた最後のプレゼントだからさ。あげたくないんだ」
「そうだったね。ずいぶん長いこと着てたね大智」
「なんならかーさんに着てもらいたいんだよ」
「急に何言ってんの。私には似合わないよ」
「いや、似合うと思うんだよ」
「もう」
「いつか着てくれない? 吉木には大きくなったらちゃんとあげるからさ」
「……わかった」
2人のこんなやりとりは初めて見た。正直驚いた。大の大人があんな風になることがあるんだと思ったが、あの2人だってずっと親子だったんだから当然だとも思った。
「なんか、俺疲れたよ。吉木程じゃないけど、美恵が急にいなくなってさ、なんと言うか……よくわからなくなったと言うかさ。とーさんが逝っちゃった時、かーさんもこんなだった? 」
「うーん、あの人は病気で先が長くないって分かってたからね。大智程じゃないかなぁ」
「……俺は吉木の父親としてちゃんとやれてるのかなぁ。美恵がいなくなってからそれがずっと不安なんだ」
「大丈夫だから、早くお風呂入っちゃいなさい」
「うん」
父がそんな苦しみを抱えていることはその時になって初めて分かったことだった。そんな会話から数年後。その父も、くも膜下出血によって帰らぬ人になった。父が祖母にジャケットを着せてあげたことがあるのかは分からなかった。祖母に聞くこともできたが、その思い出は2人だけのものだとも思ったから聞かなかった。
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