わがママ

1/5
前へ
/5ページ
次へ

わがママ

 恥ずかしい話だが、私は小さな頃、よく我儘を言って周りを困らせていた。一人っ子だった私は家族からの愛を欲しいままにしていたのだ。その証拠に幼少期はオモチャに囲まれ、たくさんの服をきていた。幸せを噛み締める前に、次の幸せを口にしていたような子どもだった。  人によっては子どもなんてこんなものだろうという意見もあるのだろうが、私をこうたらしめたのは母である美恵(みえ)の死がきっかけだった。トラックに轢かれたことが死因だが、当の私は母の轢かれた瞬間を見ないで、自分の近くに佇んだ小鳥を眺めていた。私より先に横断歩道を渡り出した母は「いくよ」という声かけの後、運転手が発作を起こした暴走トラックにぶつかったのだ。凄まじい音がなってようやく母の方を向いたが、私の目には大きなトラックの姿しか見えなかった。小学一年生の頃の出来事だった。  家族から甘やかされていたのが原因なのか、当時の私は人の死というものをうまく捉えられてはいなかった。死というものの重さを分かってなかったという言葉が適切かもしれない。そんな人として恥ずかしい子どもだったのだ。小学一年生に対して酷な言い方かもしれないが、その証拠に母が轢かれてから残ってる次の記憶は、父が「吉木(よしき)、これからはバァバの家に住もう」と私に言ったことだった。母の葬儀などのことは上手く思い出せないのだ。恐らく私の中で母が死んで悲しいとか辛いとかより、意味のわからないことをして退屈でつまらなかったという印象の方が強かったのが原因だろう。今も頑張って思い出そうとしているが棺に入った母の顔がどうしても霞んでいるのだ。母の最後はどんな感じだったかを今更父に聞くこともできない。      
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加