二口目

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二口目

― 某新聞 一面 ― 『埼玉県の団地で小学生連続不審死 殺人事件を疑い県警が捜査開始』 今月十三日午後三時頃、埼玉県S市、菱沼団地内の給水塔から行方不明女児の変死体が見付かった。 遺体の身元は同団地在住の冴羽恋糸ちゃん(十一)。 恋糸ちゃんは前日から家に帰らず、心配した両親が最寄りの警察署に捜索願を提出。自治会有志と組んで捜索に当たり、給水塔に捨てられた遺体の発見に至った。 検死の結果恋糸ちゃんの死因は頸部圧迫による絞殺と断定され、殺人の疑い濃厚と見て警察が捜査を開始。 同団地ではここ一か月以内に小学生の転落死が二件続いており、恋糸ちゃんの事件との関連が疑われている。 ― 週刊リアル ― 『犯人は被害者の兄!動機は受験ノイローゼによるストレス?動物虐待の余罪も』 七月二十日未明、菱沼団地小学生連続殺人事件は意外な決着を見た。三人目の被害者・冴羽恋糸ちゃん(十一)の兄(十四)が命を絶ち、一連の事件の犯人であると遺書で自白したのだ。遺書には犯人しか知り得ぬ現場の状況や遺体の特徴が細かく記されていた。 今月上旬から中旬にかけ、同団地では小学生が連続不審死を遂げていた。 一人目の被害者は北棟の踊り場で頸部骨折した大柴郁美ちゃん(六)、二人目はその六日後に南棟の四階廊下から転落死した碇まどかちゃん(十二)。 当初は不幸な事故と見なされていたものの、恋糸ちゃんの事件を分水嶺に見解を改め、埼玉県警が捜査を開始。 少年Aの犯行の可能性は早期の段階で浮上していた。 しかし容疑者が中学生であること、被害者の実の兄であること等から、世間に与える影響の大きさを鑑みて慎重に逮捕の準備を進めていた。 少年Aは地元の公立中学の生徒。近隣住民は「内気で大人しい性格」「挨拶しても無視された」「妹さんと正反対の暗い子」と証言している。学校関係者曰く、人付き合いが苦手で友達と呼べる存在もいなかったそうだ。 少年Aの塾講師は「高校受験のプレッシャーに悩んでいた」「出来のいい妹さんと比べられ、家にも学校にも居場所がなかったようだ」と言及している。 恋糸ちゃんは大手劇団所属の子役で、多数のコマーシャルやミュージカル、テレビドラマに出演していた。 私立小学校の受験失敗以降両親の関心が妹に移り、放任されて寂しい思いをしていた少年A。 そのストレスの捌け口が、より弱い存在に向かったのだろうか? 自殺後に部屋から押収された遺書には、登校時に郁美ちゃんまどかちゃんを見かけたこと、恋糸ちゃんの兄だと安心させて二人に近付き、背後に回って突き落とした手口が書かれていた。 警察は記者会見にて、容疑者存命中に逮捕に至れなかった失態を謝罪。少年Aは被疑者死亡のまま書類送検された。 なお菱沼団地近郊では今年四月から六月に掛け、野良猫が虐待される事件が相次いでいた。現場近くで中学生位の少年が目撃されたことから、これも少年Aの犯行ではないかと警察は考えている。 ― 日本全国最恐心霊スポット究極ガイド ― 『埼玉県S市H団地 雰囲気★★★ 恐怖度★★★★★ 危険度★★★★』 埼玉県S市H団地……ここでは嘗て凄惨な事件が起きた。当時十四歳、中学三年生の少年Aが、三人のいたいけな小学生を手に掛けたのだ。 少年Aは三人目の被害者、冴羽恋糸ちゃん(享年十一)の兄。被害者の遺族、それも中学生が連続殺人の犯人だと暴露し自殺を遂げたこの事件は、衝撃的な幕切れでもって日本中を震撼させた。 恋糸ちゃんは大手劇団所属の人気子役。代表作はドラマ『ホームカミング!』、バラエティ番組『こどものほんね』他多数。母親は業界で有名なステージママで、長女の芸能活動を熱心にサポートしていた。 動機は受験ノイローゼによるストレス、および両親が溺愛する妹への嫉妬だと、自室から押収された遺書で明かされている。 小学生連続不審死、改め連続殺人の舞台となったH団地は、平成十九年に最後の住人が立ち退いて廃墟と化した。 行政の公式発表による閉鎖の理由は建物の老朽化だが、別の事情があるのではと、オカルトライターの悪癖で筆者は勘繰ってしまうのだ。 事件後しばらくして、団地では子供の霊が目撃されるようになった。 北棟三階と四階を繋ぐ踊り場から子供の声がする。南棟四階の廊下にショートヘアの女の子がたたずんでいる。 極め付けは屋上。 恋糸ちゃんが遺棄された給水塔には業者の清掃が入り、水は全部取り替えられた。にも関わらず、蛇口から錆びた水が出てくると苦情を申し立てる住民が続出。 蛇口が垂れ流す赤い水は、さしずめ彼女の血の涙だろうか。 怪現象の報告件数と比例するように団地は衰退し、外から迷い込んだ人間の飛び下り自殺が増える。 全国から肝試しに訪れるマニアも後を絶たず、治安の悪化が加速して全棟閉鎖に追い込まれた、というのが筆者の見立てる真相だ。 本稿執筆に当たり、筆者は現地取材を敢行した。 H団地は面白い構造をしており、東西南北の四棟が「口」の字型に配置され、中庭に公園が存在する。 この公園で少年Aは死んだ。 両手で地面を掘り返し、大量の泥を喉に詰め、窒息死したのである。 いやはや前代未聞の自殺と言わざる得ない。そして現在……寂れた公園には夥しい葦がはびこっていた。 片方の鎖が外れて傾いだブランコ、砂場に突っ込むすべり台、正式名称不明なぐるぐる回す遊具。錆び付いて打ち捨てられた何もかもが在りし日の面影を偲ばせる。 敷地に立ってすぐ違和感を覚える。誰かに見られている……見張られている? そんな強迫観念に駆られて振り向けど誰もおらず、無機質なコンクリ壁が視線を跳ね返す。 少年Aの死亡地点を写真におさめたかったが、正確な位置がわからないのではお手上げだ。 適当に撮って踵を返し、公園を出た所でぎょっとした。 南棟の真下、アスファルトを敷いた犬走りに黒っぽいシミが出来ていた。歪な人の形に見えるそれは、嫌でもまどかちゃんの死に様を思い起こさせる。 不吉なシミを迂回し、注意深い足取りで南棟へ。エレベーターは止まっているので当然歩き。中は一層荒れ果て、空き缶やゴミが散らばっている。住人の置き土産らしい三輪車やビニール傘も見かけた。蝶番が壊れ、開きっぱなしのドアが手招きしているようだ。 まどかちゃんが落ちた廊下に立ち、無言で公園を眺める。七階建てのコンクリ棟が四面を塞ぐせいで閉塞感が物凄い。遠い空は四角く区切られ、井の中の蛙になった錯覚を起こす。 廊下の塀から乗り出す少女の残像を幻視し、やるせなさに顔が歪む。 中庭に面した廊下の反対には均等にドアが並び、折り畳み式ローテーブルだの赤ん坊の歩行器だのが捨て置かれていた。一個脱落した車輪が妙に寂しい。 幸か不幸かまどかちゃんの幽霊にはお目にかかれずじまい。安堵と落胆を覚えて北棟を目指す。 ここに来る前、筆者はS市の郷土史を調べた。 曰く、H団地の造成は高度経済成長期の真っ只中。 それ以前には沼があった。 沼にはヌシがいた。 ヌシの正体は白い大蛇と語り継がれ、周辺集落の人々は水害の都度、女子供を生贄に捧げていた。 一連の事件が沼を埋め立てた祟りだと主張して憚らぬ、旧い住民もいる。 建設時には大規模な地鎮祭を執り行ったらしいが、人間様の勝手な都合で封じられたヌシが、コンクリートの井の中で目覚めたら……。 少年Aが死んだ日は雨だった。 公園の地面は沼のようにぬかるみ、団地の蛇口からは赤い水が滴っていた。 筆者は考えざる得ない、少年Aが怪異に魅入られた可能性を。 北棟の踊り場は殺風景だった。郁美ちゃんは夕方に帰宅する母を待ち、よく階段で遊んでいたらしい。 成仏したのか? それに越したことはない。 移動中、またもや背筋を悪寒が貫く。埃っぽい闇を湛えたドアの奥、郵便受けの蓋の隙間、罅が走った天井隅の暗がり、消火器が撤去された踊り場の物陰。至る所に潜む猥雑な気配、一挙手一投足に絡み付く視線の圧に冷や汗が噴き出し、自然と足が速まる。 重厚な鉄扉を開け放ち、東棟の屋上に辿り着く。 給水塔の高さは三メートルほど、外周は大人が三人手を広げて囲める程度。 業者の点検用らしい、華奢な梯子が側面に取り付けられている。 冴羽恋糸ちゃんの殺害現場、兼死体遺棄現場。 少年Aは何故屋上で妹を殺したのか?もっと高い所から落としたくなった? だがしかし恋糸ちゃんは突き落とされてない。抵抗に遭い断念した? 屋上に誘き出し、首を絞めること自体は難しくないはずだが。 さすがに中を覗くのは憚られ、外観の撮影だけに留める。 パシャパシャ連続でシャッターを切っていた最中、ふいに変な匂いが鼻を突き、変な音が響き渡った。 ぽたぽた……ぽたぽた……。 雨漏り? ここ数週間雨は降ってない。そもそも屋上に屋根はない、はず……。 ぽたぽた。ぽたぽた。 一体どこから?息を呑んで耳を澄ます。ぽたぽた、ぽたぽた……。 出所がわかった。給水塔だ。 あり得ない。即座に打ち消す。 現在H団地に人は住んでない。水道を引いてる世帯はゼロ、したがって水を貯めてあるはずがない。 なら、この音は? ぽたぽた……ぽたぽた……やっぱり聞こえる。空洞に雫が落ちる、虚ろな響きを伴って。 陰陰滅滅とした音の連なりがイメージを喚起する。 給水塔に降る真っ赤な雫、底面を浸す血の海、泥を食べる少年、踊り場にしゃがむ幼女、廊下に立ち尽くす少女。 ぽたぽた……ぽたぽた……ずるずる。 中に何かいる。 給水塔の蓋がギッ、と動く。あたかも誰かが、否、何かがずらそうとしているように。 芯から込み上げる悪寒に抗い、スマホのシャッターを押して逃げる。気付けば空はかき曇り、夕立の兆しが立ち込めていた。 湿った空気の匂いを嗅ぎ、違和感の正体を掴む。屋上に漂っていたのは、ナマモノがふやけて腐った匂いだった。 賢明なる読者諸君、筆者はH団地で本物の恐怖を体験した。断じて幻聴幻覚などではない。 あそこには何かある。 何かがいる。 証拠がこの写真だ。最初の一枚は公園で撮った。ブランコの右側に小さい影が座っているように見えないか? 決定打は逃げる間際に撮った給水塔の写真。拡大部分に注目してほしい、蓋が僅かにズレている! オカルトライターの末席なら給水塔の中を覗き、怪異の正体を確めるべきだったのかもしれない。 一方、筆者が命拾いしたのは給水塔の中を見なかったからだと断言したい。 この本を手にしたそこの君、肝試しにハマっている全国の心霊スポットマニアに忠告だ。 H団地だけはやめておけ。 ライター:妹尾吟
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