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始終爽やかな風が吹き抜け、町中が見渡せることに定評のある学校の屋上。近年封鎖されている学校がほとんどだが、この中学校では時間帯を定めて出入りが許されていた。
アニメや漫画では出会いの場にもなるスポットは、一種の憧れとして、授業中でもなければ大抵誰かがいるという校内の人気スポットとなっている。
しかし現在、そこには究極の不協和音が垂れ流されていた。その威力は、屋上にいた他の生徒たちが思わず逃げてしまったほどである。
「どう!」
完璧にやりきったと言わんばかりの表情で、山田が後ろを振り返った。その瞳は期待に満ちてらんらんと輝いている。
それに反して彼の後ろに座り込んでいた藤沢は、濁った目を伏せて頭を抱えていた。
「あー……」
この瞳を輝かせている友人になんと言ってやるべきか。藤沢は暫し考え、言葉をなるべくオブラートに包みながら告げた。
「とりあえずお前の歌は、元のメロディに関係なく、急上昇して急下降を繰り返すんだよな。例えるなら、すっごく高低差があってスリルのあるジェットコースターみたいな?」
「……それって凄いってこと?」
「ある意味な! 全然褒めてねぇから!」
何故か一層瞳をキラキラさせた山田に、藤沢は吐き捨てるように告げた。
藤沢の言わんとすることが分かったらしく、山田がガックリと項垂れる。
「じゃあ、やっぱり僕の歌って下手なのか」
もし山田が小動物であれば、耳と尻尾が垂れ下がっていただろう。それを想像し、藤沢は不謹慎にも思わず吹き出しそうになる。
それに堪えて真面目な顔を作り、藤沢は山田の肩を優しく叩いた。
「下手っていうか……。まあ、その為に練習してるんだろ? 合唱コンクールまで頑張ろうぜ」
彼らは来月に校内合唱コンクールを控えていた。ここで優勝したクラスは、学校の代表として県の大会に出場することになるのである。
『やるからには優勝! 優勝したらクラス全員に焼き肉をおごってやる!』
担任の熱血教師にご褒美をちらつかされ、俄然やる気の出た藤沢たちだったのだが、そこで問題となったのが、超絶音痴の山田だった。
周囲にいる者の音程すら破壊すると噂の彼の歌声だ。このままでは優勝できないと考えたクラスメイトたちは、クラス一の美声の持ち主である藤沢に山田のコーチを頼んだのである。
「えっと、ちょっとだけ上手くなってる気もするし、もう一度歌ってみろよ」
「うん、そうだね! じゃあ僕歌うよ。アドバイスよろしくね」
「おう」
藤沢は歯を見せて笑い、山田の肩を叩いた。山田は小さい体をちょこちょこ動かし一歩前に出て、大きく息を吸い込んだ。
「こお~のおおおおおおお~おお~ぞーらあ~」
「――ストップ」
気合を入れて発せられた第一声は、予想以上の威力を秘めていた。
「何?」
「あ、いや……」
山田の瞳は不必要なほど輝いていた。藤沢のアドバイスを心待ちにしている、期待を込めた眼差しだ。
藤沢は言葉に詰まって、思わず目を逸らす。
「……その調子で頑張れ」
「うん!」
これで良いんだ、そう藤沢は自分に言い聞かせた。
何にせよ、練習を繰り返していればそれなりに上手くなっていくだろう。そう淡い期待を抱きつつ藤沢は山田の歌に耳を傾ける。
「きみぃーにーこおの、うたおおおー、う、た、お、う」
しかし、山田が歌えば歌うほど、藤沢の淡い希望は打ち砕かれていく。山田の歌は時に機械音声のように棒読みになり、時にロックバンドのボーカルのごとくシャウトする。さらに、どうしてそこで、というタイミングで声が裏返ったり、無駄なスタッカートが入ったりする。
「きみいぃいいいいいー!!」
これで本当に来月の合唱コンクールに間に合うのだろうか。
藤沢の脳裏にただならぬ不安が過る。気合が入っている分、先程よりも数倍ひどい。
えっと、これってそもそもどんな歌だっけ?
山田の歌を聞いていると、元々のメロディーさえも分からなくなってしまう。
それでも、耳を塞いではならないという使命感が働くが、我慢のしすぎか藤沢の顔は不自然に引きつっていく。
ごめん、皆、俺の手には終えないかもしれない。
ついに限界点を超えた藤沢は、思わず大声で叫んだ。
「山田、ストオオオオップ!!」
藤沢は彼に駆け寄ると、目を丸くする山田の肩をがっしりと掴む。
「ど、どうしたの? 藤沢君」
山田と目が合った。途端、藤沢は我に返る。どうしたもこうしたも、山田の歌があまりにもアレだったため、つい止めてしまったのだ。理由など、ない。
それでもさっきのように何でもないと返せば、またあの歌声が屋上に響くことになる。藤沢は頭をフル回転させて知恵を絞れるだけ絞った。
何か、なるべく友人を傷つけることなく、この歌を止めさせる方法はないだろうか。
追い詰められた藤沢の口から、こんな言葉が飛び出した。
「わ、忘れていたんだけど、この屋上は呪われてるんだよ!」
「の、呪われてる?」
「生徒の中でも一部しか知らないことなんだけどな、ここで歌うとどんなに歌が上手い奴でも上手く歌えなくなるらしいんだ!」
「え? どうして?」
一瞬我に返った藤沢は、どうしてだろうと思った。しかし、焦っているからか口は勝手に動き出す。
「えっと……む、昔の話なんだけどな、この学校に歌うことは好きだけど、ひどく音痴な男子生徒がいたんだ」
もう後には引けない。藤沢は話を続けた。
「その生徒は毎日、この屋上で歌の練習を続けていた。喉が枯れて、生徒たちからは苦情が、先生たちからは遠回しに止めるように言われても、彼は歌の練習を止めなかった。しかし、彼に悲劇が起こった」
こんな荒唐無稽な話に、山田は真剣に耳を傾けている。藤沢は続けた。
「ある日の学校帰り、彼は交通事故に遭って亡くなってしまったんだ」
勝手に殺してごめんなさい。
藤沢は頭の中で懺悔した。
「でも彼は未練があった。幽霊になっても彼はずっとここで歌い続けた。それ以後、ここで歌の練習をする人は誰でも彼の呪いを受けて、歌が上手く歌えなくなってしまうってわけだ。だから練習はせめて別の場所で――」
「ちょっと、良い?」
話を遮って、山田が声をかけてきた。大きな瞳でじっと藤沢を見上げるその表情は、無邪気な子どものようであるが。
「そんな嘘みたいな話があるわけないだろ? 作り話なら、せめてもっとマシな話にしてよ」
その一言は辛らつだった。
「い、いや、あの……だから、えっと、それは嘘っていうか、そうじゃなくて」
どうしてこんな時だけ厳しいんだよおおおお!?
藤沢が心の中で絶叫したその時、校舎から昼休み終了のチャイムが鳴り響いた。
助かったのだ。
「あ、もう昼休み終わりだな! 早く教室に戻ろうぜ」
「――うん、そうだね! じゃあ、また放課後よろしく」
「え」
山田は満面の笑みでそう告げると、藤沢より先に校舎に向かって駈け出した。
藤沢は背中に冷たい汗が流れるを感じつつも、ふうと安堵の溜息をついた。
良くわからないが、なんとかこの場は切り抜けた。
「放課後のことは、今は考えないことにしよう」
藤沢は微かな声で呟くと、山田を後を追って校舎へと繋がる扉に向かう。
「ん?」
薄汚れた鉄の扉を閉める寸前、彼はふと何かの音を聞いた気がした。
※※※※
階段で二人の男子生徒と擦れ違った彼は、屋上へ続く扉の前で立ち止まった。心臓に手を当て、ふうと大きく息を吸い込む。そして意を決して扉を開いた。
途端、耳に不協和音が飛び込んでくる。
屋上では一人の男子生徒が声を張り上げ歌っていた。同じメロディーを繰り返し、気に入らないのか時折首を傾げながら何度も声を出す。その歌声は山田以上にひどい音痴だ。次第に男子生徒の声が、自信なさげに小さくなっていく。
彼は一歩ずつその男子生徒に近付くと、ズボンのポケットへ手を突っ込んだ。そこから数個、のど飴を取り出し、目の前の背中に差し出す。
その背中は透けている。
背中だけではない、男子生徒の全身が半透明なのである。
振り返った男子生徒に、彼はにっこりと笑いかける。
「ちゃんとここにいるのに。お前も、大変だな」
男子生徒は涙をぬぐうと力なく頷いた。そして、透けた手でのど飴を受け取ると、再び息を吸い込む。
授業開始のチャイムを聞き流し笑顔を保ったまま、彼はしばらく男子生徒の不協和音に耳を傾け続けた。
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