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涼之助は、三十三歳の会社経営者だ。
経営する会社は、株式会社モーメントといい、いわゆるベンチャー企業と呼ばれる会社である。
主な従業員は、涼之助を入れて三人。
涼之助は、線の細い小綺麗な顔に似合わず、やり手の社長として毎日働いている。
都内に数店舗の飲食関係の店に出資して企画、運営ノウハウを教えるという事をルーティーンでおこなっていた。
最初は、親からの財産分与で受け取った金を元手に都内の片隅に小さなカフェをオープンさせた。
それからはコンセプトに拘らず各店舗のオーナーという形で会社経営をおこなっている。
大学の頃から経済を学び、休日はカフェ巡りを趣味にしていた涼之助は、自分で店を持つのではなく店を持ちたいと思っている人に出資しサポートしていきたいと思ったのだ。
決して、チェーン展開やグループ店舗にする事なく、一店舗、一店舗、独自性のある店を作ることを心がけている。
「時田、もう仕事に出て大丈夫なのか?」
そう声をかけてきたのは涼之助と同じ大学出身で会社の副社長という役職についている桜井一徹(サクライイッテツ)だ。
主に会社を動かしているのは涼之助とこの桜井の二人で、もう一人は事務員として雇っている女性がいるだけである。
「あぁ、うん。もう、大丈夫だよ。晃大を学校に送りだしてそのまま出社した」
「晃大、落ち込んでるだろう?」
「まぁな、まだ八歳だしな。寂しそうだ。昨日、納骨だったからかな…今朝は学校に行きたくないと泣かれたよ」
「それは、大変だな…」
妻が入院してから息子の晃大は学校が終わったらそのまま学童に通っている。
親と離れている時間も長くなり、いよいよ妻が亡くなり父と子の二人の生活になって寂しさが溢れたのだろう。
今日も、学校に行く前に泣かれた。
そんな、晃大をなんとか慰め学校に行かせた。
「息子の世話もあるし、その分早くに出勤して仕事をこなすしかない。桜井には本当に迷惑かけてすまないな」
「なに言ってんだ。お前の影の努力は俺も認めてるよ。それより、今日のカフェ・ド・ネージュの貸切の件任せて大丈夫か?」
「あぁ、午後のランチ後に雑誌のインタビュー会場として店を貸し切りたいってやつか?」
涼之助は自分の手帳を開き、予定を確認する。
ある程度の経営や実務は各店舗の店長に一任しているが、こういった突発的な依頼などは会社を通している。
なにより、今回依頼してきたのは涼之助と桜井の大学の時の同期でフリーのライターをしているやつだった。
「そう、今回はなんでも漫画家の竹芝ゆずき先生のインタビューらしいぞ」
現場に行く前の、補足情報として今日の詳細を桜井が伝えてくれる。
「え、竹芝ゆずきって、あの竹芝ゆずきか?」
「そう、あの竹芝ゆずきな」
桜井の教えてくれた情報を聞き、涼之助は動揺する。
竹芝ゆずきとはトータル数千万部を誇るシリーズを描いている漫画家だ。
涼之助も彼の本は学生の頃から好きで集めている。
息子の晃大も好きで、数少ない親子の共通の趣味といえる。
晃大の将来の夢は漫画家で、暇さえあれば俺が買ってきた漫画を読んでいるか、ノートや自由帳に絵を描いている。
「俺もだが晃大が大ファンで、サイン求めたら迷惑かな?」
「大丈夫じゃないか。晃大が少しでも元気になるといいな」
「じゃあ、色紙かコミックスを買って持って行かなきゃな」
「確か、最近新刊出たんじゃなかったか?」
「そうなのか。妻のことで色々あったから新刊追えてないよ」
「少し早く出て本屋にでも寄っていくといいさ」
桜井の、そんな後押しをもらい涼之助は午後前に本屋へ竹芝ゆずきの最新刊のコミックスを買いに行った。
そして、その足で現場の店へ向かったのだった。
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