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都心の一等地に立つ高級マンションの一室。
田中悠介(タナカユウスケ)は惰眠を貪るように朝日の差し込む室内で寝ていた。
「父さん、起きて。今日はインタビューで外出するんでしょう?俺もう学校行く時間だから!」
悠介は一人息子である弘夢(ヒロム)の声に、仕方なく目を開け大きなあくびをしながら目を覚ます。
「おはよう。昨日は、ついつい遅くまで映画見ちゃってさ。夜更かしし過ぎたよ」
今年、三十七歳になる悠介は出来の良い息子とお節介な仕事仲間たちのすすめで三十歳過ぎてからは仕事中心の自堕落な生活を改め少しは健康的に生きようと努力はしている。
努力はしているが、ついつい普段の忙しさの反動でダラダラとした時間を過ごしてしまう時もある。
悠介は『竹芝ゆずき』というペンネームで活躍する漫画家だ。
「いい加減、再婚でもしたらいいのに!それか、彼氏でも作れば!」
悠介はバイである。
本音で言えば、ゲイ寄りのバイである。
息子には隠してないし、元妻にも隠していなかった。
それがいけなかったのか、漫画家という特殊な職業がいけなかったのか、悠介との生活に耐えられず、妻はもっと自分との人生を歩んでくれる人と一緒にいたいと言い悠介とまだ五歳だった弘夢を置いて出て行ってしまった。
あれから十年、弘夢も来年には高校生になる。
「俺の生活サイクルで恋人ができると思うのか?」
「ジムは、楽しそうに通ってるじゃん」
週刊連載で毎週締め切りを抱え、出かけるといっても体型維持と健康管理のために通っているジムぐらい。
「ジムは単に体を動かすのが好きなだけでマッチョは好みじゃない」
「そんなことばっかり言ってないで、ただでさえシングルファザーでコブ付きなんだから選り好みしたらだめだよ」
「選り好みか。好みの相手さえ出逢えたら父さんも頑張るのにな」
「本当に言ってるの?嘘くさ…」
妻と離婚して、恋人のこの字も聞いたことがない弘夢は悠介の言葉を信じていない。
このまま、仕事が恋人という状態で一生を終えるんじゃないかと思っているぐらいだ。
「嘘じゃないさ!それより、お前はどうなんだ?もう中学三年生なんだから好きな人の一人や二人いてもおかしくないだろう?」
「なに言ってるのさ。中学から私立の男子校に入学させられて、そんな彩りある生活してません」
弘夢は幼い頃から大人に囲まれて育ち、自宅に来るアシスタント達を家庭教師がわりに勉強していたので成績も良く、中学からは将来苦労しないようにと私立の中高一貫校に通わせている。
「弘夢も、父さんと同じで相手が女でも男でも父さんは反対しないぞ?」
「それは父さんの考えで、俺は恋人にするなら可愛い女の子がいいの!」
そんな会話をしつつ、弘夢は自分の学校の準備をしている。
悠介は弘夢の準備する姿を横目に自分のためにコーヒーを淹れる。
家事能力のない悠介に出来る唯一の拘りがコーヒーを淹れることだった。
仕事柄、二十代の頃はカフェイン中毒になる程コーヒーを飲んでいたが、三十を過ぎて体に良くないと容量を抑える代わりに質を求めるようになったのだ。
今は、毎食後に一杯だけこだわり抜いた豆で淹れたコーヒーを味わって飲んでいる。
それ以外の家事は週に数回来てくれるアシスタントが手伝ってくれたり、弘夢がある程度大きくなってからは弘夢の手を借りてなんとかやってこれた。
そんなコーヒーの香りのする田中家のリビングダイニングは悠介の仕事場である。
ダイニングは一応、四人で座れるダイニングテーブルが打ち合わせ用兼食事用で置いてあり、リビングに至っては、パソコンや液晶タブレットの設置された机が数台と資料用の本棚おかれている。
他の部屋は、悠介の寝室と弘夢の部屋、あとはアシスタントが泊まる時の仮眠室である。
都心のど真ん中の高級マンションで三LDKの間取りのこのマンションに移り住んだのも、もう五年前になる。
普通の家庭環境とはいえないけれど、なんとか日々、暮らしている。
「じゃあ、父さんも遅刻しないように出かけるんだよ!いってきます」
「おう、いってらっしゃい。気をつけてな」
本当に今日は父一人で大丈夫かと思いつつも時間になったので弘夢は学校に出かけていった。
悠介は弘夢を見送り、朝ご飯でも食べるかとキッチンに立つ。
とはいっても、アシスタントが作り置きしてくれているタッパーに入ったおかずと弘夢が朝炊いてくれている米と最近、これぐらいならと弘夢が作ってくれるようになった味噌汁を温めて用意するだけ。
それでも、朝からバランスの取れた食事が出来ることに感謝するのだった。
妻と離婚しても、親子二人なんとか生きてこれたのも少し過保護すぎるアシスタント達と弘夢が良い子に成長してくれたおかげだ。
苦労もそれなりにあったが、今は毎日仕事に追われ好みの恋人なんて作る暇はないが充分充実した毎日を送れていると思う。
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