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親子の関係と出会い
その時は、藁にもすがる思いだったのかもしれない。
妻が余命幾許もない身になってしまう。
時田涼之助(トキタリョウノスケ)は、まだ幼い息子を一人でどう育てていけばいいのか、大学生の時に起業した自分の会社の責任をどう背負っていけばいいのか、そんな悩みばかりに苛まれる日々。
「もうそろそろだと思うの」
妻の由佳は諦めているというよりは悟ったような口調でそう言った。
「そんなこと言うなよ」
「自分のことは自分が一番よく分かるものよ」
「そんなこと言ったら寂しいだろ」
涼之助も日に日に弱っていく由佳の姿に寂しさと共に、その時を待つだけの無力さを感じていた。
「私がいなくなったら、遠慮なく貴方は貴方の幸せを求めてね」
「なにを言ってるんだ。俺には晃大(コウダイ)もいるんだぞ」
「確かに晃大もいるけど、それとは別に一人の人間としてこの先の人生を捨てるようなことはしてほしくないの」
「人生を捨てるなんてしないよ」
「私は愛する家族に看取られて、あの世に行ける。でも、残していく貴方がちょっと心配。私はあの世でまた一緒になんて言わないわ。早く成仏して次の人生があるなら次にいきたいと思ってるの」
「次の人生か…」
「そうよ。だから貴方も仕事や子育てで大変だと思うけど残りの人生を楽しんでね」
そして、その時がきてしまった。
覚悟はできていた。
桜の頃を過ぎ、初夏の匂いがするような五月の初旬に由佳は亡くなった。
骨壷に収まった妻の小さな欠片を抱き締め、息子の晃大の手を引きお寺で納骨を済ませた。
さぁ、明日からどう生きていこう。
この幼い息子には、自分しかいない。
生前の妻が言ったように自分の人生を楽しむなんて今の自分には考えることもできない。
「晃大、寂しいとは思うがお父さんはなにがあっても晃大の味方だからな!」
「うん。僕はお父さんの味方だよ。お母さんと約束したんだ。お父さんが頑張りすぎないように助け合うって…」
自分がいない時に、妻と息子はそんな会話をしていたのかと少し驚く。
「助けあうか…。そうだな、お父さんは今、凄く寂しいぞ。晃大はどうだ?」
「僕も凄く寂しい」
夫、妻、息子という家族構成の中で一番さっぱりとした性格だったのは妻だった。
病気になった当初は少し落ち込んでいるようにも感じたが、すぐに自分の残りの人生を悔いなく過ごせるように、晃大にも隠すことなく自分の残りの時間を伝え、寂しがる晃大を逆に励ますように毎日、言葉をかけていた。
「泣きたくなったら泣いていいんだぞ」
「うん…」
母親の死、そして火葬や納骨と子供にはなれない出来事に我慢を強いられていた晃大の幼い心が悲鳴をあげているように感じていた。
成長したなと感じることが多くなった息子だけど、まだ八歳だ。
その小さな体を抱き締めるとポロポロと涙をこぼし始めた。
これまで、頑張ってきた晃大にこれ以上我慢させたくなかった。
涼之助自身も今は妻との別れを精一杯受け止めて、落ち着いたら息子と二人で精一杯生きていこうと思う。
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