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一か月ほどすぎた時だ。
その頃、俺たちの間では猫の動画が流行していた。とあるユーチューバーが飼っている猫の動画を、みんなでスマホで見てわいのわいのと話すのが日常茶飯事となっていたのである。
その猫の面白いところは、とにかく“のびる”ことだった。リラックスしてくると、まるで綿棒かと思うくらい体をながーく伸ばすのだ。
「可愛い。チロさん超可愛い」
「猫は神、はっきりわかんだね」
「もふりてえ。うちもアパートじゃなければなあ……」
そんな話をしていた時だ。突然、声をかけてきた人物がいたのだ。
「……天津風くん、ちょっとええか、な?」
「ん?」
翠だった。俺はみんなの輪から外れて、彼女のところへ行く。彼女は恥ずかしそうに俯いて、俺にスマホを見せた。そこに映っているのは、一枚の猫の写真だ。茶白の猫で、顔が綺麗なハチワレになっている。
「おお、ハチワレ!かわいい」
「うちで飼ってる猫のナーコやねん。……その、うちの猫な」
彼女は視線をさまよわせながら、僕に言ったのだった。
「めっちゃ伸びるねん。有名な猫の、チロさんよりずっとのびるねん」
「のびるって、どれくらい?」
「それはもう、ごっつのびるねん。うちの身長超えるくらい伸びるねん」
「マジで!?」
彼女は身長140cmほど。それより長いとは、一体どれくらいなのか。僕が反応すると、彼女は少し恥ずかしそうに眼を伏せて続けた。
「見たい?……見たいなら、うち来て、ええよ。天津風くんだけ、うちに呼んだげる。オカンたち、仕事やから、昼と夕方家におらんねん。こっそり友達あげてもええと思う」
「見たい見たい!行く行く行く!」
俺は単純な人間だった。のびる猫が見て見たいと思ったし、何より彼女が僕に心を開いてくれたのが嬉しかったのである。
その日は、特にクラブ活動などがない日だった。俺は彼女と一緒に、彼女の家に向かったのである。彼女は人が少ない住宅街などに来ると、危ないから、怖いからといって俺と手を繋ぎたかった。
「なあう?」
茶色の古いアパートが彼女の家だった。アパートの305号室。部屋にいたのは、写真通りの愛らしいハチワレ猫だった。ただし、思ったよりも小さい。本当にこれで、140cmを越えるほど伸びをしたりするのだろうか。
「ナーコ、伸びしたって」
「ナア?」
メス猫のナーコはとても可愛らしいもふもふの猫だったが、結局その日は一度も俺に伸びを見せてくれなかったのである。猫は気まぐれだから、仕方ないと言えば仕方ない。がっかりした俺を見て、翠は言ったのだった。
「じゃあ、明日も来てええよ。ナーコがのびをするところ見られるまで、何度でもええ」
「ほ、ほんと!?やった!!」
「うん。……ほんまやで」
それから俺は、何度も何度も何度も、彼女の家に通うことになる。
俺は子供だった。小学校五年生の、自信たっぷりの、自分はなんでもできると信じている自意識過剰な子供でしかなかったのである。
だから。
「ナーコがずっと、のびをしなければええのにな……」
彼女が呟いたその言葉の意味を、その時の僕は理解できなかったのだった。
残酷なことをしていたと気づくのは、それからずっと後のことだった。
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