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ここは日本のとある田舎にあるM県烏川町。(うかわちょう)
烏川町のシンボルはその名の通り烏(カラス)であり、害鳥のイメージが強いが、八咫烏など神の使いとしても知られる神秘的な存在として、いまの町長になってから、烏で町を上げて町おこしをしようという気概が高まっている。
そのため、烏川町の観光地には烏まんじゅうや、烏せんべい、烏のぬいぐるみなど烏を銘打ったお土産物が大量に並ぶ。
そんな烏川町の春のころ、どこまでも続く畑を横目に見ながら、ひとりの青年が自転車で通勤していた。
自転車は猛スピードで車道を突っ走り、脇目もふらず直進する。
曲がり角を曲がろうとした中学生のふたり組がちょうど自転車と行きあった。曲がり角を曲がろうとしたとたん自転車が現れ、ひとりの女子生徒がしりもちをつく。
「うわあ!びっくりした」
「すみません、スピード出しすぎてました。大丈夫でしたか?」
女子生徒に手を伸ばした自転車の青年は精一杯の作り笑顔を浮かべた。
だが、女子生徒はその顔を見ると、ひっ、という声を漏らし、伸ばしかけた手を引っ込めた。
青年…黒谷工(くろたに たくみ)のオールバックに撫で付けた髪、熊と対峙したのかと思うほどの鋭い眼光、190センチあるごつい体つき、第一ボタンの空いたシャツとスラックス。それらの特徴は初対面の女子生徒を怖がらせるには十分すぎた。へたしたらヤのつく自営業のそれだ。
女子生徒は
「ごめんなさい!!」
と謝ると、友だちと一緒に道を反対方向に走り出した。
「あ…ま、待って…」
黒谷の声はむなしく空に消えていく。黒谷は女子生徒を見送ったあと、はぁ、と盛大なため息を着いた。
黒谷は鬼のように恐ろしい見た目をしていながら、気弱なおとなしい青年である。
幼少期は友だちと戦隊ヒーローごっこをすると必ずといっていいほど怪人役をやらされ、一度もヒーロー役ができなかったというトラウマをもつ。
学生時代は、水泳部に入っていたにもかかわらず、「黒谷はとなり町のヤンキーを10人のした」という根も葉もない噂を立てられ、周りの生徒に怯えられていた。
そして、彼は裏社会の一員…などではけしてない。むしろその真反対、烏川町の役場で働く公務員である。仕事は始めて2年目だ。
黒谷は遠ざかる女子中学生を見送ると、がっくりと肩を落とし、力なく自転車にまたがった。昔から、「厳つくて怖いやつ」として認識されているのには慣れているが、デリケートな彼はこういうことがあるたびに傷ついてしまうのであった。
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